2024/2/22

昼:コンビニ飯
夜:鶏鍋の残りをアレンジしたカレーうどん(連れ作)

ホテルでまったく寝付けず、寝不足のまま客先へ。コンディションは最悪なのに、ほとんど一日中クライアントとずっと一緒だったのもあいまって疲労感はすさまじく、帰りの新幹線は半分以上を寝て過ごした。目を覚ましたときには名古屋をとっくに過ぎており、変な角度で寝ていたせいで首を痛めて、そこから再び眠りには戻れなかったので、読むのがつらくて気が進まずにいた『ロリータ』を読んでいた。帰宅したのが午後11時すぎ。連れもその15分ほど前に帰ってきたばかりで、どうやら忙しい日だったらしく、夕食はもう外で済ませようかと話していたのだが、家のドアを開けたらカレーの良い匂いがして嬉しかった。数日前の鶏鍋のスープをアレンジしたカレーうどんだった。カレー粉が残り少なかったので、カレーうどんというには随分あっさりしていたが、疲れきった体に優しい味がちょうどよくて美味しかった。入浴をしたらだいぶ疲れがとれて、『ロリータ』を最後まで読み切ってから眠った。

書かれている内容をゆるすことはできない。谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んだときにも思ったことだが、これを名作ともてはやせてしまうのは、やはり徹底的に男性中心社会だからなのだろうと思う。子どもと女性の人権を軽視してきた社会。そう思う一方で、すごい小説だったと思わされたこともたしかだった。若島正が訳者あとがきで書いていた内容が的確だと思う。

『ロリータ』は読者ひとりひとりによって姿を変える小説である。淫らな少女愛を綴ったエロティックな小説を期待して読む人もいるだろう。さまざまな文学的言及や語りの技巧に満ちた、ポストモダン小説の先駆けとして読む人もいるだろう。話の内容はさておき、絢爛たる言語遊戯こそがこの小説のおもしろさだと考える読者もいるだろう。あるいはとんでもない大爆笑のコミック・ノヴェルとして読む人もいるだろう。アメリカを壮大なパノラマとして描いたロード・ノヴェルだと読む人もいるかもしれない。狂人に人生を奪われた不運な少女に涙する読者もいるかもしれない。伏線がいたるところに張りめぐらされた探偵小説として読む人もいるかもしれない。あるいはアメリカの一時代を活写した風俗小説だと読む人もいるかもしれない。しかし、ここであえて言うなら、『ロリータ』の本当に凄いところは、そうしたすべての要素を含んでひとつの小説にまとめあげている点にある。

すごい小説を読んだ、と思う。今までに読んできたどんな小説も、こんなにも複雑な味を織りなしているものはなかったのではないかと思わされるくらいに、重層的で、構成する要素のどれもが選びぬかれている、隙のない小説だった。