2024/3/1

午前6時前、地震で目が覚めた。遠くで防災無線のサイレンが鳴っているところに、ちょうど連れの目覚ましのアラームが鳴りはじめて、まだうまく回らない頭がそれを警報と取り違えたせいで、キッチンのガス栓を締めに走ろうと飛び起きてすっかり目が覚めてしまった。連れを見送ってからも布団にとどまっていたが、ふたたび眠りに戻れそうにはなかったので、諦めて音楽をかけることにした。

その日最初に聴く音楽をつぶさに選ぶことは、なんとなくその日がどんな一日になるかを決めることになる気がしている。プレイリストを眺めていて目にとまったのはTRIGGERのMy Precious Worldだった。まだ街が覚めきらぬ静かな時分、やわく青い光の気配をカーテンの向こうに感じて、布団に身を沈めて、歌詞をとりこぼさないように神経を研いで音に耳をすませる時間のことが好きだと気がついた。連れと一緒に暮らすようになってからは、手に入りにくくなった時間でもある。これが私に必要なものだった、と思った。聴いている間は、世界にはその曲と私しかなくて、仕事や生活や他者やそれ以外のすべてに乱されることがない。自分の生活の中に、こういう静かな時間が存在しうるのだということ自体を、忘れていたような気がする。聴いていたら涙が出てきて、自分の中にそうやって音楽を味わえる部分がまだ残っていたことに心底安堵した。まだこの人たちの伝えたいものを受け止められる、その資格が自分にあるのだと思えたから。それは確かにひとつの対話の形で、神聖さのともなうものだった。

そのあと起き出して、洗い物をして台所を片付けて、仕事をはじめてしまったら、そのときに感じた神聖さはあっという間に薄らいでしまった。そうやって捨てた、失った愛おしいものが、どれだけあるだろう。すべてを手元に残して愛することはできないのだと、最近は諦めつつあったような気がする。でもこれは私が生きていくうえで絶対に必要なものだ。諦めちゃいけないものだ。

このところ忙しかった仕事は、今日でひとつ山場を超えた感じがある。来週もまだ気は抜けないけれど、大きな会議がつつがなく終わって、すこし肩の荷が下りた。ほんとうは、仕事をする中で生じる自分の感情や思考に自覚的でいたいのに、というか、こういう場でこそそうあるべきだと思うのに、内省の時間がとれないまま、資本主義的・能力主義的価値観を無批判に受け入れて過ごしている。ある程度仕事ができるようになってきて、大抵のことはそこまで悩まずに、感情と切り離して対処できるようになった分、その傾向が強くなっている。自分が評価されているのを盾に他者を見下そうとする悪辣さが膨らんでいるのも、薄々わかっていて直視しようとしていない。自分の倫理との照合を怠って、ただその場で求められている正解を叩き出すだけの機械に成り下がっている。今の私は、私の望まない私である。

2月に入ってにわかに忙しくなったのは、もともと別の人の担当だったタスクにも関与するようになったからだ。実質、ほとんど私が奪う格好になっている。その人は自分の活躍の場を奪われて私のことを煙たく思っているきらいがあるが、その人がどう思うかよりも、仕事を前に進めることのほうが重要で、込み入った状況を解決できるのはその人ではなくて私だと、リーダーが判断したからそうなっている。優劣の話ではなく、純粋に経験値が違いすぎるのだ。私のほうが年齢は下だが、この仕事に携わってきた時間には数年の差があるのだから、仕方がない。小学生に中学生の問題を解かせようとしてもできないのと同じように。ただ、問題は、その人の力不足に直面したときに、その人への蔑みの感情が私の中に起こるようになりつつあることだ。技術力の多寡を、人間としての上下・優劣にあてはめたがる動きが、たしかに私の中に存在する。自覚していながら、それを批判すること、陰険さから自らを引き剥がそうとする自浄行動がまったく機能していない。ようやく時間的な猶予を手にして、一歩下がって自分を俯瞰してみて、今やっと自分の邪悪さにぞっとしている。

善く生きる、ということを、たびたび忘れかける。善く生きようと努力できることこそが人間のもっとも崇高な能力であると信じながら、日常にかまけてそれを手放そうとする。忍び寄って付け入ろうとする悪を振り払うために、私には文章を書く時間が必要だ。自分の中の悪魔を名指して、引きずり出すための時間が。

夜は久しぶりに19時過ぎに切り上げて、布団に倒れ込んだらうっかり22時まで寝てしまった。夕飯を作るのは億劫で、出前をとろうかという話も出たものの、連れも私もワインを飲みたい気分だったので、けっきょく買い物に行ってワインとチーズを買って、プッタネスカと鶏もも肉のソテーを作った。連れが作るパスタはいつも美味しい。

話している中で、パレスチナの話になった。イスラエルを支持する立場に、連れが一定の理解を示したように聞こえる言葉があって、私がそれに激しく反発した。思いかえしてみれば、それは彼自身の立場についてではなく、「賛同はしないがイスラエルの主張の理屈は理解できる」という意味だったのだと今はわかるが、酒が入っていたのもあって、そのときはとにかくショックで、一瞬これで関係が終わるのかとさえ考えた。ただ、パレスチナに連帯する立場にうっすらと反感めいたものを覚えているのも事実みたいだった。どんな理由があっても、イスラエルのやっていることを正当だと思えるわけがない、人が殺されることをよしとできるわけがない、と私が語気を強めて言ったら、『可哀想』に価値を見出すのが嫌なのだと言う。パレスチナの肩を持つ動機に、可哀想だから同情する、という理屈があるように見えるらしい。安全な場所にいる人々が、理不尽に曝される人々のことを「可哀想な人たち」とまなざすことによって滲んでしまう消費の色に、連れは反発しているのだった。人間の尊厳を重んじる連れらしい感覚だと思ったし、そこには省みるべきものがあるとも思った。でも、私はパレスチナの人々が可哀想だから虐殺に反対しているわけではない。悲惨さを強調し(実際強調してもしすぎることはないのだが)、「可哀想」を掻き立てるのは、言ってしまえばアジテーションの方法だ。こんなことはあってはならない、とひとりでも多くの人間が思わなくてはいけない。そんなことをしないといけないのは、「誰も殺されるべきではない」という基本的な考えが、悲しいことに、そして不思議なことに、共通了解として世界に存在していないからだ。イスラエルに怒り、イスラエルを支持する人々に怒り、パレスチナの人々に連帯したいと思うのは、誰も殺されるべきではないし、誰も殺すべきではない、ただそれだけのことなのに(イスラエルはあくまでテロリストであるハマスへの攻撃という体裁をゆずらないけれど、私は兵士であれテロリストであれ殺されて然るべき人間などいない、というラインを絶対に譲りたくない、なぜなら線をどこで引くかは恣意的に設定できてしまうから。イスラエルが大規模な攻撃を正当化する理屈は、けっきょく彼らにとってはパレスチナの人々がまるごとテロリストだとみなせることにある。だとしたらその論理にのってはいけない、あくまで「誰も」殺してはならない)。すくなくともそこは連れと合意を見た地点であったし、そのことにほっとしたけれど、でも、ぜったいに譲れないと思っているラインで立場がまるきり一致しないというのは初めての経験だったから、未だに戸惑っているし、終わりの種子が植え込まれてしまったのではないかという恐怖感もある(現実に起きている虐殺を、個人的な関係の試金石として利用する形になってしまっていることがすごく心苦しい)。連れとの関係において、放っておいたらたぶん今後も影を落とすことになるだろうから、もうすこし対話をしないといけないし、もし対話の果てに一致しなかったら、その時には終わりにすることもありえるのかもしれないと、考えたくない選択肢が見えてしまった夜だった。