ここじゃ消費者が王様なんだよ

昨日、夜中のテンションで書きなぐっていたら、久しぶりにブログを書こうと思ったそもそものきっかけをすっかり忘れてそのまま寝てしまった。

ZICOの新曲がやべえという話です。

何ってとにかく歌詞がもう、とんでもなくかっこいい。痺れる。

私ヒップホップっていうのがずっとダンスのジャンルの名前だと結構最近まで思ってたくらいにはその界隈に無知だし、ZICOの音楽をまともに聴くようになったのだってたった2,3ヵ月前の話だけど、この人のこのマインドがヒップホップなのかもしれないって、この歌を聴いて思った。言葉を武器にして闘う者の気概を感じる。ラップの巧い下手は私にはまだ判別できないけど、技術とかそういうものを超えてきてる。ダブルタイトル曲のもう片方は、まさしく彼自身を形容するにふさわしい言葉だと思う。この人は、アーティストだ。芸術家だ。

この歌詞は、彼自身に向けて書かれたものだと解釈するのが一番自然な気がする。けれど私は、この詞が同業者に向けて書かれたものに思えた。それも、彼の中では対象はかなり明確なはずだ。自分に向けた言葉を装ってそれをぶつけているのだとしたら、それってものすごく、人間くさいなと思った。それが一体誰を指すのかまでは、一傍観者である私にはわからないけれど、それがもし、私が好きなEXOだったりしたら、もうめっちゃくちゃ興奮するなって思った。

Idolは直訳すれば偶像であり、即ち大衆から崇拝される対象だ。

ZICOが率いるBlock Bというグループを少しググればすぐにタイの寄付金に関する問題発言のエピソードにぶち当たる。彼らにとってはきっと、これから先も避けて通れない楔になるのだろう。活動歴が長いわりに中堅どころに留まっている(あくまで私見です)のは、たぶんアイドルとしては不完全だからなんだろうなと思う。大衆の求める”偶像”ではない。だけど、少なくともZICOの生み出すものは、そんなものを軽く凌駕するだけの圧倒的な説得力がある。

せぶちはアイドルとして振舞うことに余念がないし、それでいて苦しんでいる姿が垣間見えるところが青臭くて可愛いなと思う。EXOは脱退や不参加メンバーのことがあるから、グループ単位での偶像としての完全性には随分とひびが入りつつある印象だけど、それでも彼らはプロのアイドルだ。でも、ZICOは私の目には違って映る。偶像的であろうとするよりも、人間的だ。潔白な人間性を求められる今のK-POPアイドル界には逆行するスタイルなんだろうけど、ヒップホップのHの字も知らない私がそれでも強烈に彼に惹かれるのは、彼から”生”を感じるからだ。綺麗に取り繕われた幻想よりもよっぽど、ぐちゃぐちゃに生きてる、って感じする。すっげえ、かっこいいよ。例えるならなんだろう、夜の海かしら。真っ暗なのに、時々どこかの光を反射して煌めく、そんな美しさ。でも、それはいささか綺麗すぎるかもしれない。それに、そんな偶発的な輝きでもない。ごみ溜めの中で燦然と光を放つ、強さと美しさを兼ね備えた言葉。

私もアーティストになりたい。言葉を武器に戦える人になりたい。

昨日あんな記事を殴り書きしたけど、私はまだ世界に夢を見ていたいんだ。生が眩いエネルギーを持った素晴らしいものだって思わせてくれる何かを、こうして探し続けている。ドルオタ馬鹿にすんじゃねえ。