牢獄の外

ぐっと重力が私の体を座席に縛り付けて、みしみしと機体が悲鳴をあげたのはたった一瞬のことで、あっという間に私達は自由になって、地面が見る間に遠くなっていった。私の、初めての一人旅が終わろうとしている。香港から成田へと向かう飛行機の中で、これを書いている。

 

……本当はこの先にもっと言葉が続くはずだったのだろうが、走り書きのノートはここで終わっている。2か月前の自分が何を思って書く手を止めたのか、或いは書けなかったのか、もう今の私には思い出せない。

けれどつい一昨日公開されたGOT7のMVに見覚えのある香港の景色がいくつも映っていて、どうしようもなく恋しくなって、こうしてキーボードを叩いている。私は確かにあの地を、この足で、踏みしめたのだという、それを思い出したくて。

 

沢木耕太郎の『深夜特急』を初めて読んだのは、いつだっただろうか。細かい内容は忘れてしまっても、彼が見てきた世界、彼の言葉で描かれる、鮮やかで生々しくて濃密な世界への憧れは、深く私の心の柔らかい部分に刻み付けられて、ながいこと私を焦がし続けてきた。

そのくせ飛び立てるほどの勇気があったわけでもなかったし、あったところで新しい世界を目にしたいというその衝動に身を任せるほどの素直さも、私は持ち合わせていなかった。周りの友人たちが何か国も尋ねたり、世界一周をしたり、留学をしたりする姿を、羨ましくもなんともないとのたまって、涼しい顔をして私は頑なに日本に留まり続けた。そうして、彼らへの嫉妬と、膨らみ続けるコンプレックスと、まだ見ぬ世界の煌めきに高鳴る自らの鼓動に気付かぬふりをしたまま幾星霜、私は23になっていて、自由に使える時間はそう残されていなかった。

だから、セブチの香港公演は、強情を張り続けた私の背中を押すのにうってつけのきっかけだった。公演ももちろんすごく楽しかったし、ものすごい至近距離で彼らを拝むことができてこれ以上ないほどに幸せだったのだけど、香港に滞在した4日半は、それだけでは語りつくせないほどに私にとって大事な時間になった。

 

なーんてね、あとから書けばいくらでもそれっぽい話にできるんだ。嘘を書いたわけではないけれど、そんなに綺麗な話で片付くものでもない。

家族からも自分からも迫りくるモラトリアムの終わりからも、何もかもから逃げたくて、自由になれることを期待して香港行きのチケットを取ったはずだったのに、海を越えて一人になっても、私の心は日常に縛り付けられたままだった。

せっかくの非日常なのに、それを素直に味わうことのできない自分に心底がっかりした。異国の電車に乗っているのに、私のスマホの画面に表示されるのは日本語ばかり。ツイッターをスクロールするのを止めない自分の指が疎ましかった。何してるんだろう、何のために来たんだろう。

異国は万能薬じゃない。日本を飛び出しただけで、すべてが解決するわけじゃないのだ。そのことに気が付いたのは、残念ながら帰国してからだった。

だから、さっき一人旅と書いたけれど、香港で過ごしたこの4日間は「旅行」でありこそすれ、「旅」とは呼べないな、と思う。もともとの意味にさしたる違いはないのだろうけれど、私にとって「旅行」とは非日常を楽しむもので、「旅」とはたとえ一瞬でもその土地で「生きる」ことだ。どっちが良いとかいうものではなく、目的が違うのだ。

友人と訪れる見知らぬ土地には楽しさと思い出を求めるだろう。卒業旅行で友人たちと行ったヨーロッパも、台湾も、とてもとても楽しかった。

けれど私は、旅がしたくて香港に行ったのだ。知らない土地の空気を吸って、その土地の食べ物を食べて、自分とは異なる言語を使う人たちの中で、私のことなど誰も知らない世界で生きてみたかった。

とっても楽しかったし、大好きな場所になった。でも日本に紐付けられた自分を振り払えなかったし、だから香港という場所を全身で感じることもできなくて、そのことを後悔している。

 

それでも、やっぱり行ってよかった。大事な時間だったことに変わりはない。

何よりも良かったのは、案外なんとかできるだけの力が自分にある、というのを実感できたことだろう。

いくら周りが私のことを優秀だと認めてくれたところで、私自身が私を認めてあげられないまま生きてきた。それは親の過保護ゆえに肥大してしまった自己無力感であり、私よりも何万倍も何億倍も優秀で尊敬すべき友人たちに恵まれたがゆえに成長した劣等感でもある。

最近では意識して少しずつ自分の力で自分の生を制御できるようになろうと努力しているけれど、私はまだ他者(特に家族)への依存から抜け出せていないし、未だに自力で何かを決断するということがとても苦手だ(このあたりのことは、少し前の記事で書いた)

一時ひどく反発した甲斐あってか、今でこそ親の方が過保護にすまいと努力してくれているのを感じる。それは間違いなく状況を良い方向に導いていると思うけれど、それでも根本的な解決には程遠い。変わる必要があるのは親だけではない、私自身だからだ。ところが20年という歳月の間でしっかりと私に根付いた劣等感や無力感はなかなかにしぶとくて、誰よりも私が一番、私のことを諦めている。何よりもタチが悪いのは、私がそれを親に責任転嫁していることだ。自分が動かない言い訳を親のせいにしている。

 

ところで、少し余談をしよう。私はよく、オタクしてる時が一番輝いてる、と冗談を言う。オタクを自称するのに若干自虐的な響きがあるから冗談として成立するわけだが、茶化しているだけで、これはまったくの本心である。気持ちの向くままにアイドルに愛を注ぐという行為は100%私の意思でなされていることであって、そこに親も他者も介在しない。自分の意思で彼らを愛しているとき、私は少し強くなれるような気がする。私の体が、私の感情が、思考が、私だけのものになっているという実感がある (だから私はアイドルオタクであることを絶対に引け目に思ったりはしない、そういう時の自分は結構好きだからだ)。

セブチが私の背中を押してくれた、とさっき書いたのはそういうわけだ。いくら同世代が海外にぽんぽん行っていようが、意地を張り続けてろくに踏み出そうとしなかった私にとっては、一人で香港に行くというのはそれなりに大きな決断だった。働き始める前に、まとまった時間があるうちに海外に行っておけというのは周りから散々言われてきたが、きっと私はセブチがいなかったら香港に行こうと決断することはできなかっただろう。

とにかく全部を自分でやろうと決めたから、親には飛行機も宿も取ってから「行ってくるね」と事後報告をした。この期に及んで親が反対するとは思えなかったけれど、決める前に話してしまったら、自分が親に頼るだろうなと思ったからだ。

初めて一人で海外へ行くというのに、何に対してなのかもわからない負けず嫌いを発揮して、深夜23時半に到着する便を選んだりした(まぁ安かったからなんだけど)。だけどいくら香港が眠らない街とはいえ、空港から市街地までは1時間はかかる。この飛行機でいいかな、この宿で大丈夫かな、そもそもちゃんと辿り着けるのだろうか。勢いにまかせて決めたはいいものの、その日が近付くにつれ不安は強くなって、やっぱりやめておけばよかったなんて怖気づいたりもした。

それでも、行ってみたら案外なんとかなるものだった。なんとかできるものだった。

なーんだ、私、ちゃんと一人でも生きていけるんじゃん。それが嬉しかった。

 

本当は旅行記として書くつもりだったけれど、実際に行ったところまで書くとあまりにも長くなりそうなので2つに分けることにした。これは、飛び立つ前までのお話。

 

深夜特急』の冒頭で、沢木はこう記している。

ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者のあいだの隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、と言ったのだ。

映画『ショーシャンクの空に』に、ブルックスという、50年間服役している年老いた男が登場する。世界の変化から隔たれた刑務所の中で半世紀を過ごした彼は、めでたく出所するものの外の世界の変わり果てた様に夢見ていたような光を見出だせず、自らの命を断ってしまう。この老人に、私は自分を見出す。ブルックスにとってのショーシャンク刑務所が、私にとっての日本なのである。出たくて仕方がなくて、それでいて愛する人たちがいて、結局は居心地がいい場所。深夜特急に乗ろうとしたけれど、心は塀の中から出られなかった。

深夜特急に乗って目にする「外」の眩さに、次こそ身も心も浸したいものだ。香港にはきっとまた行こう。