PENTAGONスペシャルライブ参戦記

今、11月20日月曜日、午前1時40分。数時間後には会社に行かねばならないのだけれど、これを書かずして週末を終えることはできまいと、夜を徹する覚悟で綴り始めた。これは、今残さないとだめだ。だって、まる一日経っただけで、もう夢みたいなのに。それでも確かに昨日が現実だったのだというナマの感覚が、僅かにでも残っているうちに。

札幌KMF参戦記を書き終えるのを待たずして迎えてしまった、今月2度目のペンタゴン

2017年も残すところあとひと月と少しというところまで来て振り返ってみると、今年は随分と好きな人たちに会いに行った一年だった。2月、セブチ冬イルコン。5月、EXOペンミ、KCON。7月、セブチ夏イルコン。8月、セブチ香港公演。9月、横浜KMF。11月、札幌KMF、そして今回のスペシャルライブ。お財布が寂しいことについては考えないことにするとして、ひとつとして後悔しているものはないし、どれも紛れもなく宝物みたいな、大事な時間だ。

だけど土曜日は、それらの中でもとびきり特別だった。一番だった、といってもいい。いや、あれ以上はきっと二度とあるまい。たとえこの先行くコンサートでことごとく最後列しか当たらない呪いにかかったとて、それを甘んじて受けようと思いたくなるくらいの、一生分の運を使い果たしたとしか思えない、そんな時間だった。

ペンタゴンを好きになる前から応援してきたEXOもセブチも、当たり前のように遠い存在だった。他をよく知らない私はそれが普通なのだと思ってきたし、それでいいと思ってきた。彼らがアイドルとして存在していることが幸せで、私は私の好きなように彼らを愛しているだけだから、そこに一定の距離はあって然るべきだと思い続けてきた。

一度だけ、会えやしないかと僅かばかりの期待を込めて、セブチのサイン会に応募したことがある。たかだか数万円積んだ程度で当たるはずはなかったのだが、落選がわかった時、大層安堵したのを覚えている。いちど会ってしまったら、歯止めが効かなくなりそうで怖かった。それに、自分がOne of themにすぎないのだと思い知るのも嫌だった。純粋に彼らのことを好きだからファンをしているのに、彼らに何かを求めたくなってしまったら、何かが私の中で崩れてしまう気がした。そうなるくらいなら、いっそ手が届かないくらいに遠くにいてくれた方が良いんだ、と思っていた。

なのに、私がそうして守ってきた安全ラインは、札幌KMFであっさりと崩されてしまった。たった一瞬のハイタッチ。「ミュージカル、楽しみにしてます」と言った自分の言葉に、彼が嬉しそうな顔をしてくれたことが、もうだめだった。歌に惚れ込んだはずだったのに、あの瞬間、もう一段階深いところまで落ちた気がした。伝わった。伝わってしまった。1秒にも満たないその時間だけは、一方通行じゃなかったのだ。

自分の言葉が届く、という嬉しさを一度知ってしまったら、もう戻る術はないらしい。だから土曜日も、待ち受けるハイタッチと、何かを期待してしまっている自分になんとなく憂鬱な気持ちになりながら電車に乗った。終わった後に悲しくなるのが怖かったのだと思う。そしてその不安は、見事に的中している。

 

スペシャルライブと銘打ってはいたものの、内容としてはファンミーティングと呼ぶのがいいような、ファン参加型のイベントだった。公演時間は2時間弱と短く、曲もアンコールを含めて10曲程度。せめてセットリストくらいは記しておけばよかったと後悔している。

昼の部は、一人で参戦した。1階席の最後方だ。キャパシティは予め知っていたとはいえ、入場して改めて会場の小ささに驚いた。ど真ん中だったのでステージ全体は見やすかったものの、照明がやたらと目を射るものだから、逆光でメンバーの表情まではほとんど判別できず、ほとんど雰囲気を楽しむに留まった。同じくお一人様だった左隣のキノペンの気さくなおねえさんと仲良くなって一緒に盛り上がった。

終演後のハイタッチで、深夜4時に即席で作った名前のボードを見せたら、やっぱり嬉しそうな顔をしてくれた。だけど流されて行く人々、無数のジノペンの一人である、私。ほんの刹那だけ交わされる温もりに、どれほどの気持ちを伝えられているのだろう、と切ない気持ちになりながらロビーに戻った。

けれど、その後だった。今もなお、私の心臓の鼓動を乱す出来事があったのは。

写真撮影券とやらが何を指すのかわからないまま、グッズ列で迷うことなく3000円を差し出した己の軽率さに、これほど感謝することになろうとは思わなかった。だって、会場全体の集合写真なんだと思っていたのだ、1部公演が終わるその瞬間まで。随分と強気な価格だなあとは思ったけれど、郵送してくれるのならば記念に、くらいのつもりだった。まさか、15人単位での撮影だなんて思いも寄らなかった。係の人の誘導の声に、耳を疑った。

写真撮影券をお持ちの方はこちらです、とハイタッチを終えて空になった会場に再び通され、整理番号が早いグループから順に撮影をして行く。前の人たちが撮影の準備が整うまでの時間メンバーと会話しているのを見て、頭が真っ白になった。そんな心の準備、していない。

それでも、最後から2番目のグループだった私が通されるころには、少し落ち着いた。舞台の縁に腰掛けるメンバー10人の前に、ファン15人が2列に誘導される。どうにかジノの近くに行くことに成功して、撮影までの、数十秒のチャンス。あの時、振り返るのに一生分の勇気を使ったような気がする。

ミュージカル、観に行きます。そう言ったら、彼は目尻に皺を寄せて、「お〜、ありがとうございます。がんばります」と微笑んだ。がんばります、は韓国語のあとに日本語でも繰り返してくれた。楽しみにしててください、って言われたから、期待してます、って返したところでタイムリミットが来た。自分がどんな顔で写真に写ったのか、さっぱりわからない。たぶん、ひどい顔をしているんだろう。半目になっているに違いない、きっとそうだ。

大好きな人たちが話す言葉を、少しでもそのまま理解できたなら。韓国語の勉強を始めた動機はそこだったから、自分が使うことはあまり考えてこなかった。それを初めて使う相手が、よりによって推しであろうなんて、誰が想像できただろう? 

状況を理解できないまま撮影が終わって、ロビーに戻ってから漸く実感が湧いて、危うく一人で叫び出しそうになった。2部公演まで一緒に時間を潰そう、と外で待ってくれていたキノペンのおねえさんのところに戻って話しかけた私の声は、面白いくらいに震えていた。

 

そこから友人と合流し、おねえさんと3人で時間を潰して、いよいよ2部の入場。今度は5列目だからさっきより相当近いはず、とわくわくしながら入った私達の期待は、思いもよらぬ形で裏切られた。

前4列が潰されていた。潰されていたといっても、単純に座れないようになっていたわけではない。撤去されていて、そもそも席が存在していなかった。5列目の前には、ただのだだっぴろい空間。そう、私たちは最前列だったのだ。

座席の背もたれに刻まれた番号を数回見直しても、それは紛うことなき現実だった。5列目だって私には十分すぎるほどだと思っていたのに。

たまたま先週はすごく仕事がきつくて、帰宅してから毎日泣くような生活をしていた。週末彼らに会える予定がなければとっくに折れていた。だけどまさか、それがこんな形で報われるとは思わなかった。ああ、頑張って良かった。ひとしきり友人と騒いでから、じわじわとその想いが込み上げて、始まる前にちょっぴり泣いた。

始まってからは、もう、ひたすら夢のようだった。

やっぱり私は、歌う彼が世界一好きだ、と何度も、何度も、その姿を目に焼き付けようとしながら思った。気持ちよさそうに歌う彼の目には何も映っていないでしょう、だってたいてい目を閉じているか、宙を見つめているかだ。彼が歌うときだけしか存在しない世界があるのだ。何人たりとも踏み入れることが叶わない、彼だけの世界。歌声が途切れたら、しゃぼん玉のようにふわりと弾けて消えてしまう、脆くて美しい世界。

アイドルとしての振る舞いをよく心得た人だな、と思う。ファンサービスにしても、童顔な外見を活かした可愛いキャラクターにしても、好きな女性のタイプを訊かれて口を濁すところも、きっと自覚的にやっているのだろうと思う。そして多分それはファンのためなんかじゃない、気がする。

こんなことを言ったら誰かに怒られそうだけれど、あの10人の中で、ジノだけ妙に老けているな、と思うことは結構ある。笑ったときの目尻の皺の深さもさることながら、ふとした時の表情なんかにどきりとするほど老成した空気を感じることがある。

少し前のデビュー1週年のVライブの時に、メンバーに宛てて書いた手紙の中で、一年前のジノが末っ子ウソクに綴った言葉が忘れられない(訳お借りしております)。

「お前がこれを読む頃には成人して、大人ぶったりする年齢なんだろうけど、それでも若いよ、若い。羨ましい。」

この時はメンバーも、書いた本人も笑っていたけれど、でもこれってものすごく重い言葉だと思う。さらりと綴られた “부럽다” に込められた質量に、意味がわからないくらい泣いた。

アイドルでいることは、ジノにとってはきっと目的じゃなくて手段なんだろう。歌い続けるための、失ってはいけない立ち位置。

これが正解だなんて思わない、私がジノをそう解釈しているだけ。それでも、そういう人だと思うから好きだ。歌への衝動に忠実な人だから。そうやって、後ろを振り返って悔いて、弟を羨んで、それでもなおこうして歌い続けている彼だから、好きだ。

だから、歌っているところだけで十分なはずだったのにな。ジノの歌声が、同じ空気を震わせて私の鼓膜を揺らすというだけでも、私にはもったいないほどの幸せだというのに。私は愚かだ。

何度かこっちを見て微笑んでくれたのも、最後の方の曲の途中、弓を射る素振りで標的にしてくれたのも、たぶん気のせいじゃない、と思いたい。名前を呼べば声が届く距離にいた。私の呼びかけに、たしかに頷いてくれた。そのことが、こんなにも嬉しい。嬉しくて、悲しい。

ううん、やっぱり夢だったのかもしれない。帰りに友人と新大久保によって夕飯を食べながら、さっきの、現実だったんだよね?と二人で首をひねった。彼女はそのまま私の家に泊まりに来て、二人で彼らの曲を流した。さっきまで目の前にいて、確かに私に視線を、笑顔を、言葉をくれたはずの彼は、もういつも通りの、画面の向こうの遠い遠い人に戻っていた。ほらね、だから嫌だったんだ。選んだのは自分だというのに、やりきれなくてそんなことを思ってしまう。幸せすぎたから、喪失感がひどい。

 

次に彼の歌を聴けるのは、2017年最後の日。それまでは仕方ないから、端末越しで我慢だ。 

カムバック直前の忙しい時期に、こうして来てくれて、本当にありがとう。フイくんとか2部だいぶおつかれだったし、カムバ前にゆっくり英気を養えていればいいけどな。

好きになって初めてのカムバックだ。毎日あがる音楽番組、衣装、新しいCD。楽しみ。