181011

疲れた。あと一日会社に行けば休みだけど、なんだかとても疲弊している。早く寝たほうが良いのはわかっているのに、体力ではない何かを癒したくてミルクティーを淹れた。

生きるって決めて、でもそんなに今までと変わることがあるわけじゃないだろうと思っていたけれど、思っていた以上にしんどい。それがたまたま忙しいからなのか、それとも生きると決心したからなのかはわからないけど、こんなにきつかったっけな。死ねる、って思うことは紛れもなく救いだったのだなと思う。私は生きると決めて、自分の逃げ道を絶ったのだ。しんどくて当然なのかもしれない。世の中の人はすごいなあ。

ひとりで暮らすようになってからは自炊するか食べないかの二択がほとんどだったのだけど、最近は食べないの割合がかなり高くなってきている。はじめの頃は張り切ってほとんど毎日料理をしていた。おかずを作り置きして、律儀に一汁三菜をこなしていた。だけど少しずつ手の抜き方を覚えてきて、最近はほとんど包丁を触っていない。料理は好きだけど、生きるうえでの優先順位は低いのだ。この時代、自分で作らなくても食べる術はいくらでもある。外食は嫌いだからと空腹をごまかす夜が続いていたけれど、最近は朝も昼もまともな食事をしていないから、さすがに今日は空腹に耐えかねてスーパーで惣菜を買って帰ってきた。冷凍してあったご飯を電子レンジで温めたら、それだけでまともな食事の様相を呈して、なんだかあまりの簡単さに拍子抜けしてしまった。生きるために働いているはずなのに、働いているせいで、そうやって生活の質を下げなくちゃいけないことが悲しい。働くって、そこまでしなくちゃならないものなんだろうか。油のまわった唐揚げは不味かった。

前からどうしても読みたい漫画があって、今日は絶対にそれを買って帰るのだと朝から心に決めていた。なのに、駅前の本屋に寄ったら知らない間に改装して売り場が縮小されていて、結局手に入れることはできなかった。書籍はできるだけ書店で購入するのが自分の中の決めごとのひとつなので、週末に出かけたときにでも探すことにする。仕方がないので売り場をうろついてみたら、クリムトの画集が三千円くらいで売っていたので、次の給料日にでも買おうと思った。美術館にも随分行っていない。行きたい展示はたくさんある。

一旦創作から手をひくことにした。書きたいとは今でも思っているけれど、ちょっと疲れすぎてしまった。そこに纏わりつくしがらみにずっと嫌気が差していたことも、自分の書くものを(あらゆる意味で)肯定できないことも、目に入ってくるもの全部、もう無視できない段階に来ていると思ったから手放す。自分の腕を切り落とすような気分だ。でもきっと、あそこにしがみついていたら私は前を向けない。

働くということについて、心の折り合いがつけられるようになる日は来るのだろうか。新しい環境になって、少しは楽しくなる兆しが見えつつあるとはいっても、私が大事にしたいものは会社の中にはないことは火を見るより明らかだ。売上も生産性もお金も全然興味がない。揺れている。でも、生きると決めたからには、働かなくちゃいけないのだ。大学、やっぱり行きたいし。あと一日。