休日

言葉をつかうのも習慣づけていないと、どんどんうまく使えなくなる。書きたい気持ちはあるのに、すとんと収まる言葉がうまいこと引っ張り出せなくて、輪郭の曖昧な感情の塊が体の中でぐるぐるしていて気持ちが悪い。怪物を体の中に飼っているみたいだ。ちゃんと面倒を見て飼いならしていないと、だんだんと膨れ上がって厄介なことになる。仕事が落ち着いて余裕はできたけど、ちょっと息苦しい。短い日記でも良いからもう少し頻度を上げて吐き出したいのだけど、ただ暮らしているだけでも感じることが多すぎて、いざ書き出すとあれもこれもと欲張ってしまって結局書き上げられない、みたいなのが常だ。そういう不器用さというか融通のきかなさあってこそ書ける文があるのも確かだけど、出来はどうあれまず仕上げることを考えるようにしたほうがいいのかもしれない。そう思って、今日の日記を書いている。気づけば2月も半分近くが終わろうとしていて、本当は2019年の目標みたいなものも言葉にして残しておきたいとか思っていたりするんだけどな、ちかいうちにきちんと書きたいな。

今日は午前10時半に起きて、土曜にやり残した家事を片付けた。会社員になってしばらくは、平日で疲れ果ててしまって休日は午前中はまるまる寝て過ごすみたいなことがざらだったけれど、一年もすると少しずつ体も慣れてくるのか、午前中に起きられるようになりつつある。今週は三連休だったこともあって、質のいい睡眠をとれた感覚もあった。やってもやっても仕事が終わらなくて焦りと不安に苛まれていた時期を抜けたのも良かったんだろう。とにかく、午前中に起きるだけで、その日の残りの充実ぐあいは全然変わる。家事をしたあとは、動画を見たりネットサーフィンをしたりして、14時過ぎに家を出た。

ふだん、休日は家にこもるか、遠征するために早朝に出てしまうか、のどちらかなので(あらためて書くと極端だ)、休日の昼下がりの電車にはあまり乗らない。平日に乗る朝の通勤列車と違って、どこかぬるい空気の漂う車内が新鮮だと思いながら山手線に乗った。そういえば、この前山手線に乗ったのも、やっぱり韓国に行く日だった。始発から間もない、まだ空が明るみはじめたばかりの時間だった。私の座る席からドアひとつ離れたところで、酔い潰れた会社員が豪快に床で眠りこけていた。駅で乗ってきた人が一瞬だけ面白がるような色を含んで彼に目を留めて、それからまた自分の手に握られた端末に視線を戻して興味を失っていくのがおもしろくて、ずっと見ていた。数駅乗ったところで、駅員が男を引きずって降りていった。大変な仕事だなと思う。きっと起きた時彼は山手線の床で寝ていたことは覚えていないのだろう。

恵比寿駅で降りて、近くのコーヒー屋でカフェラテをテイクアウトしてカイロ代わりにしながら歩いた。少し熱めに作ってもらったのだけど、それでもみるみるうちに温度が奪われていくのがわかった。2月らしい冷え込みで少しうれしい。15分ほど歩いて、目的地、日本画を専門に展示している山種美術館に着く。開催中の奥村土牛の展示にどうしても来たくて、出不精の私にしては珍しく足を伸ばしたのだ。

展示はすごく良かった。小学生の頃、親に連れられて見た東山魁夷の絵に魅せられて以来、日本画の優しい色使いが大好きなのだけど、奥村土牛の絵には魁夷とはまた別の美しさがあった。ひとつひとつの作品に言葉を探していたら永遠に時間が溶けてしまうけれど、とにかく見慣れた魁夷の絵とは違った色使いにはっとさせられたり、土牛の被写体を見つめるまなざしの優しさに感極まってちょっと涙ぐんでしまったりとかしながら、展示室をずっとぐるぐるしていた。画集も買った。魁夷が2冊、速水御舟、鈴木其一に続いて、日本画の画集もいつの間にか5冊目である。

絵画には、知識あってこその楽しみ方というのもある。たとえばどういう時代背景で、画家がどんな影響を受けて、みたいな制作の裏側を知るのは面白い。その瞬間に自分が対峙している一枚の絵に、物語があるとわかって見てみると、違ったものが見えることはよくある。だから美術館の音声ガイドは好きだ。だけど今日は音声ガイドは借りずに見ていた。奥村土牛という画家のことは、名前と、『醍醐』という桜の絵くらいしか知らなかったから、予備知識なしで、ただ絵を見たときに自分がどんな気持ちになるのかわくわくしてみたかったのだ。

美術の勉強をしたことはない。日本画がどうやって描かれるものなのかも、誰が有名なのかもあまり良く知らない。でも、好きだ。こういう好きに突き動かされて生きている自分のことも好きだなあと思う。

閉館ぎりぎりまで見たあとは、館内のカフェで空腹を満たした(起きてからコーヒー以外に口にしていなかった)。ここのカフェは、いつもその時の展示作品にちなんだ和菓子を作っているので、それも来るときの楽しみだったりする。『海』という色とりどりの青色が美しい作品をモチーフにした、胡麻餡の入った練りきりを頼んだ。

『醍醐』を前から知っていたこともあって、なんとなく春の画家だというイメージを持っていた(ちなみに、魁夷は夏のひとだと思う)。実際、優しくて繊細な筆運びに、春はそう遠くないんじゃないかなと思った展示だった。良い休日でした。