9月16日(月)加速的高揚

10時過ぎに起きる。朝顔に水をやるべくカーテンを開けると、色彩に欠けた灰色の空、朝顔のえび茶色と濃い紫がよく映えていて良かった。良い天気だな、と思ってから、なぜ晴れた日だけが良い天気として扱われるのかふしぎに思った。良いとか悪いとか相対的なものだし、朝顔が映える空なんて良い天気に決まっている。家を出る予定のない日の雨なんて最高の褒美だし、運動する日にかんかん照りだったらそれは天気が悪いと言っても差し支えなかろう。変なの。

12時過ぎに家を出た。この時間に外に出られるのは、私にしては快挙だ。電車に1時間ほど乗って下町のほうへ、大学の後輩が出演する演劇を見に行く。よく知らない駅に降り立つときの心が浮き立つ感覚が好きだ。

大学を卒業してからは演劇もかなり疎遠になってしまっていたから、土曜のライブ然り、久しぶりの出来事続きの週末だ。公演はすごく良かった。 最小限の照明と小道具で複雑性を排除された世界に生きるひとびとは、そのぶんだけ存在が濃いように感じられた。 凄まじい熱量の舞台で、見ているこちらまで消耗するほどだった。ぶつかってくる言葉の炎に気圧されて何度か泣いた。終演後、たまたま同じ回を観に来ていた大学時代の同級生と疲れたなと言葉を交わした。刻みつけたい台詞がたくさんあった。社会とマジョリティ、同調圧力、自由、罪、理解と寛容と共感、正義とその暴力性、そんなものについての淡い思考の断片が、観ているあいだ間断なく浮かんでは消えていった。ステージはいつだって好きだけれど、こと演劇においては、舞台のうえで発される言葉、演者の動き、表情、光の明度とか温度、そういうものが、風が土埃を煙らせるみたいに、感情も思考もいっぺんに舞い上がらせてゆく感じが好きだ。2時間弱、けっして座り心地のよくはない椅子にじっと座っていながら、その実私の内側はくるくると万華鏡みたいに鮮やかに吹き荒れていた。生きている、と思った。そうして浮かんだ思考の切れ端はすぐに霧散してしまうからつなぎとめておくことはできないけれど、感じたものを失ってしまうのは惜しかったから、終演後に台本を買った。

学生時代、学内公演のミュージカルに出演していた姿に惚れ込んで以来、ひそかに憧れを抱いているひとだ。お互い顔は見知っていたものの、線が交わる機会はないままで、初めてまともに会話したのは大学を卒業して3年経った今年に入ってからだった。そのひとの歌がとにかく好きでたまらなくて、インスタグラムに時折あげる動画に毎度心を溶かされているけれど、まさかこのストレートプレイの公演でその歌声を聴くことができようとは期待していなかったので、舞台の端で歌うそのひとを見て、感極まってちょっと泣いてしまった。面識ができた今でも、そのひとは私のなかでちょっと神様に近いところにいる。本人にそんなことを言ったらたぶん恐縮しきってしまうのだろうから、言わないけれど、そのひとのことが好きだ。

夜の予定まではしばらく余裕があったので、恋人への誕生日祝い探しのリベンジに臨んだ。もともと目星をつけていたサイモン・カーターのカフリンクスは案の定ひとめ見て気に入ったので、すぐに購入を決めた。値札を見る前に買う癖がついたのは間違いなくアイドルに溺れた副作用で、思っていたよりも高かったことには、決済を終えてレシートにサインを求められたときに気が付いたけど、そんなことはどうでもよかった。誰かに何かを贈るなんて久しいことで、ましてや恋をしている相手なのだ。きれいにラッピングされた箱に、なぜか私がわくわくしている。父の還暦祝い(こちらも思っていたより高くついてしまった)も買ったので、図らずも散財の日になってしまったけれど、正しいお金の使い方をしたと思う。

そういえばこの日は文字通り何も口にしていなかったことを思い出し、古びた珈琲屋に入った。休日とあって店内は込み合っていたが、ひとり客が多いせいか静かで、演劇を観て熱をもった思考を外に逃がすにはちょうど良かった。チーズケーキとブレンドコーヒーのセットで空腹を満たして時間をつぶした。本でも持ってきていれば良かったのだけど。

家から一歩も出ない休日など珍しくもない私にしては指折りに活動的な一日、しめくくりは一昨日ぶりのライブハウスである。高校時代に同じ塾に通っていた友人だ。はじめて彼の演奏を見たのは高校生の頃だから、かれこれ8、9年まえの話である。コピーバンドをやっていたのが、いつのまにか自分で曲を作るようになっていた。つい最近動画サイトに公開したばかりの新曲がすごく好きで、彼の音楽を肌で感じてみたいなと思って、久々に連絡をとった。ライブに行きたい、というと彼はひどく喜んでくれた。

重たい扉を押し開くと、ちょうどトリを務める彼のバンドが舞台に出てきたところのようだった。会場は埋まっているとは言い難かったが、彼らはそれを気にする様子もなくはじめから観客を煽った。はじめこそひかえめに様子を伺っていた観客も、ステージのうえの彼らにつられて次第に高揚していった。誰よりもまず自分たちが思いきり楽しむことの意味を、よくわかっている人たちだと思った。ステージの上の彼は、眩いくらいに強く光を放っていた。あの楽しさをどう言葉にしようかと考えたけれど、率直な彼らにもらった感情は、ストレートに表すしかないんだろうという結論。楽しかった。めっちゃくちゃ楽しかった。かつて、塾の帰りに一緒にカラオケに行っていた頃の彼がすこしだけ遠くなってしまった気がして、それはちょっとさみしかった。でも、友人だからとかではなく、彼の作る音楽がすごく好きだと思った。

好きなものにとっぷりと浸かった、めちゃくちゃに最高な日だった。世界は楽しい。