9月17日(火)消えない火

生きているから書く。なにかを感じているから、琴線に触れるものがあるから、それで動くなにかが私の中にあるから、それを確かめたくて書く。書くことは私の証明で、書けないときは自分の存在が薄まる気がして怖かった。今月は書く、と決めてから一週間が経って、オンタイムではないにしろ続けることができていて、明らかに体調がいい。以前より言葉に詰まる回数が減ってきた。書く速度はあがっているし、脳がきちんと動いている感覚がある。便通がよくなったときと同じ快感があるから、やっぱり言語化はある種の排泄行為だと思う。でもそれにしても印象の残らない日というのはある。仕事のなかみを詳細に記すわけにいかないことを差し引いても、会社にいる時間について書きたいことがほんとうに少ないことに思い至るたびに、いつも驚愕する。仕事も会社も好きだけど、やっぱりどこか大事な部分を殺してるんじゃないかと思う。いつも面白がらせてくれるほど、たぶん、サービス精神旺盛じゃないし、世界がつまらなくなる日もあったっていいとは思うけれど、あんまりじゃないか。つい一日前の記憶を辿ろうとしても靄しか掴めないのでこんなことを書いている。

そう、朝、通勤電車のなかで偶然、数年ぶりに高校時代の親友と再会したのだった。あんなに仲良かったのに、毎日一緒にいたのに、いつのまにかこんなに疎遠になってしまって、なんでこうなったんだろうねと話した。ほんとうは知っている。背伸びしていた青くさい時期を忘れ去りたくて、誰からも愛される彼の隣に居続ける勇気がなくて、人間関係を維持することを怠った私のせいだ。もう死んだものだと思ってたわ、と諦めを裏に滲ませた冗談に、最近は元気だからまた遊んでよと言ったのは本心だけど、親友ではないんだよね。

18時に会社を出て、駅で恋人と待ち合わせた。日本酒と和食を好む私達の行き先はたいてい飲み屋だけれど、珍しく洒落た雰囲気のメキシカンレストランで食事をした。都会の真ん中、夜の風と光の街を楽しめるテラス席。こういう煌びやかな空間はどうにも気後れしてしまう。愛想のない料理長が黙々と料理を作るのをカウンターで眺めながら日本酒を飲むほうが性に合ってるなと思ったのが本音だけれど、いつもと違うのもたまには楽しかった。前日の演劇の話をした。作品の内容や私の感じたことについて、観ていないひとに説明するのは大変に苦労したけれども、言葉を探しながら解説を試みる私に、恋人は根気よく付き合ってくれた。メキシコビールとロゼワインでほろ酔い。コカという、トルティーヤ生地で作った?ピザに似た食べ物が美味しかった。

会計を済ませて、エレベータで地上に降りる時に、にぎやかな会社員の集団と一緒になった。はじめは一緒に乗るのを遠慮したのだが、彼らが「まだ乗れますよ」と声をかけてくれたので結局お邪魔した。ドアが閉まってから、私の横に立っていた男性が「すみませんね、うるさくて」と笑いかけてくれて、それから「もしかしてふたりで乗りたかった?余計なお世話しちゃいましたかね」と言った。あながち間違いでもないそのからかいに、気の利いた返事が咄嗟に出ずに苦笑いをすると、「あちゃ~、俺のせいで愛の火をひとつ消しちゃったよ」と軽快な調子の冗談にエレベータ内には笑いが起きた。すかさず「大丈夫です、こんなんじゃ消えないので」と私が軽口をたたき返すとまたどっと湧いて、そうこうしているうちに地上についた。混み合うエレベータ内の不自然な沈黙が大の苦手なので、こういうのも悪くはないなと思った。恋人はエレベータを降りてからも、私の言葉を反芻して「ふふ、消えないのかあ」としばらく口元を緩めていた。かわいいひとだ。

ふたりで眠りに落ちて、日付が変わる頃にまた目を覚ました。恋人がコーラを飲みたいと言い出したので、そのためだけに外に出た。ルーズな部屋着の隙間から肌を撫でていった風はちょっと冷たすぎるくらいで、ひとけのない道でさむい!とはしゃいで恋人にくっついた。コーラを交互に飲んでまた眠った。私、恋人のこと好きすぎやしないか?まあいいか好きだから。