9月18日(水)劇薬

あいかわらず寝起きの悪い私がぐずぐずとタオルケットに絡まっている間に、今朝も恋人はコーヒーを淹れてくれた。熱いコーヒーの沁みる季節になってきた。最高だ。そのうち魔法瓶にコーヒーをいれて散歩しに行こうね、と話している。

午前中に会議がひとつ。めずらしく同じプロジェクトのひとと一緒に昼食をとった。今のプロジェクトのひとたちは、年下だからとかそういうくだらない理由で相手に気遣いを求めるような押し付けがましいひとたちではないので、一緒にいても疲れない。経験がたりないことは他者を尊重しない理由にならないってあたりまえのことだと思うのだけど、年上が年上というだけで偉くなれてしまうこの世界で、自分は対等に扱ってもらえていると思えるのは、けっこうラッキーなんだと思う。この先、私よりも年次の若いひとが増えていくときに、彼らみたいに他者に接することができる人間でありたいなあと思っている。

どうにも余裕がある時期なだけに気が緩んでしまって、だれた時間の使い方をする日々が続きがちだったが、今日は先延ばしにしていた資料作成に手を付けたりして、納得感のある日にできた。もっとも、集中しはじめたのが遅かったせいで、退社は20時を過ぎてしまったけれど。これで資料を今月中にちゃんとまとめるところまでいけば、9月の目標がひとつクリアできる。がんばりたい。

久しぶりに集中したせいか、帰宅してからすぐに布団にとらわれてしまって、2時間ほど微睡んだ。こういう中途半端な眠りが気持ちよすぎる季節なのがいけない。23時過ぎに空腹で目がさめたので、冷蔵庫の在庫処分ポトフを作った。玉葱、キャベツ、じゃがいも、ブロッコリー、南瓜。茄子と茗荷と油揚げがまだ残っていて、味噌汁にしようと目論んでいるのだが、明日から来週の月曜まで毎日外食の予定が入っていることにたった今気がついた。なんてことだ。最近元気だからってちょっと予定を詰めすぎだなあ。

今日は自分をゆるせる日だと思って、ようやくセブンティーンの新曲を観た。ツイッターに流れる絶賛を目にすればするほど、彼らを受け止めるのに必要な勇気は大きくなっていって、そんなこんなですでに2日が経っている。心の雑音が大きいと、彼らの作品には向き合えないのだ。観ると決めてからも緊張してしまって、しばらく再生のリンクを押せないでいた。息を止めたままクリックして、たぶん曲が終わるまでほとんど呼吸していなかったと思う。身じろぎすらできなかった。全神経を画面に割くためには、自分自身の肉体すら雑音になるのだ。なんなんだろう、このひとたちは。もうなんか一撃で毒がまわってしまって、とっくに致死量。二度目を観るのが怖い。底抜けに元気で、眩しいくらいに幸せな景色を見せてくれて、それだから好きになったはずなのに、彼らが描き出す闇も等しく底が見えない。死ぬまでとらわれているんじゃないかといつも思うし、それならそれで幸せなことだと思う。彼らの作品に殺され続けたい。それでこそ生きていられるので。