1月1日(水)さよなら孤独、さよなら幸福

10時に起きる。箸袋に家族の名前を書くように頼まれて、久しぶりに筆ペンを握る。タイピングのほうが圧倒的に速いもので、文字を書くこと自体すっかりなくなってしまったが、思いのほかうまく書けたので嬉しくなった。一年のはじまりとしては幸先が良い。お雑煮を食べた。餅はふたつ食べられなくなっていて、食欲の衰えを感じる。もう肉体の最高潮を通り越した自覚はあるから、これからはどう維持していくかを考えなくてはならないのだ。年をとるとはかくたるものである。

昼過ぎ、父の運転する車で祖母宅へ。ふだん音楽はそのときの気分に合ったものをなんとなく選んで聴くだけのことが多いが、今年最初に聴く曲には、もうすこし確かな根拠がほしい気がした。それで、恋人の作ったプレイリストを選んだ。その時々でよく聴いた曲を四半期ごとに集めてプレイリストにしたものだ。1曲目は宇多田ヒカルのGoodbye Happinessだった。良くも悪くも象徴的な曲になりそうだと思った。さよなら孤独、さよなら幸福。きっと今年は自分の幸福について考えなければならない年になるだろうから。

祖母はあいかわらず女の幸せが結婚することだと信じているから、私をしきりに心配していた。もっとも、私にその気が一切ないことは祖母もわかりつつあるようで、未練がましく相手の有無を尋ねはするものの、その声音には諦めの色が濃くなっている。私の幸せを願う気持ちから言っていることは承知しているから不愉快だとは思わないが、あいにく期待に応えるつもりはさらさらない。祖母が思う形での幸せな孫の姿を見せてやれないことにいささかの申し訳なさはある。でもそれだけのことだ。やがて死にゆくひとにこの時代の考え方を啓蒙するほどの甲斐性は持ち合わせていないが、私の幸せは私が定義することと、それなりに幸せであることだけは伝えた。伝わったかどうかはわからない。

元日にしてはすこしぬるめの空気だった。ぱきりと冷たい冬のほうが好みだが、やわらかくて良い日差しだった。行くときは空き地の枯れ草が日に透けて地面が煙っているように見えたのが美しかったし、帰るときの夕焼けは桜貝みたいな淡いピンク色で見惚れた。いつだか恋人と画材屋に行ったとき、彼が好きだと言った色のようだと思って嬉しくなったけれど、写真に撮ったらその美しさはあまり再現できなかった。

帰宅してからは録画していたテレビ番組を見て、おせちを食べて、携帯の画像フォルダをさかのぼりながら去年を振り返ったりしていた。恋人が恋人になるよりもまえの記憶がまるで別人のもののように遠く感じた。世界がひっくり返ったような感じ。ひっくり返ったままの年になるか、元通りに戻せるのかはよくわからない。それを考えるのはもう少し先のことにすると決めた。ひっくり返った世界もどうしようもないくらい愛している。