1月4日(土)Home Sweet Home

10時過ぎに起床。遅めの朝食は食パンとソーセージ、茹でたブロッコリー。三日間、餅ばかりだっただけに、小麦のうまさが染みた。

母がよく行くカフェで落語家を招いて新春初笑いの会をやるというので、両親と連れ立ってでかけた。ひとしきり笑ったものの、けっこう毒の効いたネタも仕込んであって、現代の(かつ、フェミニストの)感覚ではあんまり笑えないなあと感じるところもあった。メディアに出すのが憚られるような、そういう際どさというのが、こういう場でのひとつの醍醐味であるというのも理解してはいるけれど、迎合したくない笑いがあるという自分の感覚は大事にしておきたい。落語が男性を聞き手として想定したお笑いであるというのは、以前友人と寄席に行ったときにも感じたことだった。あのときも似たような失望感を抱いて帰ったのを思い出した。笑えるけれど、諸手を挙げて楽しかったと言いきれない悲しさがどうしても残ってしまうのだ。会のあとに歓談の時間があって、そんな話を落語家本人にしたら、まだまだ男尊女卑な世界ですからねえとこぼしていた。それ自体には驚きも悲しさもなくて、まあそうだよなと思った。落語という文化にも、寄席という場所独特の雰囲気にもたしかに惹かれるものがあるのに、それでも傷つきたくないから好きだというのにはためらいがある。

切り餅やら蜜柑やらを持たされて大荷物になったので、夕方の用事のまえに一旦自宅に戻った。鍵を開けた瞬間、ああ帰ってきたと思った。まぎれもなく安堵の感覚であった。両親と実家に住んでいたのが24年間、ひとりで今の家に暮らした期間はその十分の一にだって満たないのに、もうすっかり私の家はこっちになっていることに気がつく。そういえば大晦日に帰ったときにも、ついお邪魔しますとつぶやいてしまったのだった。母は母で、家にひとが来るとなると掃除に身が入るのよねなどと言っていて、親からしても私はもうあの家のひとではなくなっているようだった。ひとりだちとはこのことか、と思うと感傷的にならないでもない。丹念に掃除してから帰省したので、三日ぶりに戻った我が家はさっぱりとしていて気持ちの良い空間だった。

用をすませて再度帰宅すると軽い吐き気に見舞われ、早々に布団に潜り込んだ。波はあるものの、ここしばらく続いているのでたぶん病院には行ったほうが良いんだろう。気が重いことだ。しばらく微睡んだが、筋トレをしていないことを思い出してしぶしぶまた起き出した。文字通り三日坊主で終わってしまうのは悔しかったので。吐き気が収まってみると案外空腹だったことに気づき、そのまま湯を沸かしてカップ麺を食べた。おせちやら母の手料理やらフレンチやらと、「ちゃんとした」食事を続けたあとに摂取するジャンクフードの美味しいこと!こういうのを欲していたのだと叫びたくなるような、正しく欲望を満たされた快感がそこにはあった。空になった容器に水を張って、磨いたシンクに放置したら、一気に生活感が戻ってきた感じがした。生活というのはこうして進んでいくのだな、と思ったら妙に安心した。

正月休みも残すところ明日のみである。やりたかったことはもっとあるような気がするが、一年のはじまりとしてはまずまずではないか、という気がしている。もっともそれは自分の生活圏内での話で、すこし液晶の奥に目を向ければ、アメリカとイランのあいだには不穏な気配が流れており、ひたひたと近付いてきている戦争の足音に怯えたりしている。恋人のこと、大事にしたいひとのこと、誠実さ、セクシュアリティに関するゆらぎ、まだまだ言語に落とせていないものもたくさんある。内にも外にも、きちんと目を向けていられる人間でありたい。