1月3日(金)親子

11時前になって、駅伝が面白くなってきたよと父が起こしに来た。一日を終えようとするところになった今は、どう面白かったのか具体的な展開はもう思い出せなくなっていたけれど、そうやって父が起こしに来てくれたことはちょっとうれしくて、これはたぶんずっとあとになっても思い出すんだろうなとなんとなく思った。父は父なりに、娘と共通の話題があることに嬉しさをおぼえていたりするような気がする。そう口に出すことはしないひとだけど。

午後は母方の祖母宅に行った。年に一度、この日にしか会わないいとこたちと私とのあいだに流れる空気は、年を重ねるごとにぎこちないものになっている気がする。こどもの頃よりも一年は短くなっているはずなのに、人間と接した経験も今のほうがずっとあるはずなのに、こどもの頃のほうが会っていなかった時間を取り戻すのが簡単だったのはどうしてなのだろう。昨春に大学に入学した下のいとこは、髪を染めてメイクをして、見違えるようにおとなびていた。去年は受験生で親戚の集まりにも来なかったから、会うのは二年ぶりのことだ。一昨年の同じ日に会ったときの彼女は、まだ運動部に所属していて、化粧っ気のない溌剌とした高校生だったから、二年という歳月のもたらす変化には戸惑った。人間というのはじわじわと成長していくものだと思いがちだけど、そうでもないらしい。

夜は両親と、年末に開店したばかりのカジュアルフレンチのレストランで食事をした。もともと母の行きつけのレストランで働いていたシェフが独立してひらいた店で、そのシェフが辞めたときにずいぶん気落ちしていた母は、今日をとても楽しみにしていたのだった。もともと駐車場だったところに一から建てたのだという店は、まだ新しい匂いがした。すみません、まだ慣れていなくてばたばたしてて、と謝るシェフは、それでも満席の店内にすこし嬉しそうだった。好きなことをしているひとは良い顔をしている。メインに頼んだ鹿肉は、胡椒のきいたソースがよく合っていて美味しかった。今はちょうどジビエのシーズンなのだそうだ。

母はこの日をどんなに楽しみにしていたか、無邪気にシェフに話していた。その表情には見覚えがあった。好きでいるだけでは飽き足らず、それを相手に伝えたいという、自分の好意を理解してほしいという、そういう類の傲慢さがかすかに覗いていた。アイドルを好きでいるとそういう顔をしているひとはよく目にするし、自分自身にも心あたりのあるものだった。人当たりの良いシェフは笑顔で礼を言っていたが、私は隣で居心地の悪さをやり過ごしていた。母がその傲慢さを自覚しているとは思わないが、品のないアピールをしないだけの理性はありつつ、そうして浅ましさが滲んでしまうあたりに自分とそっくりなものを感じて、ああ親子なんだなとちょっとぞっとした。あと、私にとって母は家の中でしか会わない存在なので、対外的な態度でいる母を見るのは慣れていないというのも、その居心地の悪さに寄与しているんだろう。両親との関係はけして悪いものではないが、それはあくまで親と子でいられるうちの話で、私はけっこうかんたんにこのひとを嫌いになれてしまうのかもしれないとちょっと怖くなったのだった。