1月9日(木)スポンジ

ひとりで眠るときはTシャツの下にさらに肌着を2枚重ねていないと眠れないのに、体温が高めの恋人と一緒に眠るときはそんなものは必要ないのだから、人肌というのは偉大なものだ。先に起き出すのはきまって恋人なので、私はしばらく熱源を失った布団のなかでぐずることになる。ひとの腕に抱かれていた赤ん坊が、ベビーベッドに置かれた瞬間に泣きはじめる気持ちがわかるような気がする。

私がようやく布団から出た頃には、すっかり着替えた恋人が、生姜と蜂蜜と実家から持ってきてくれた柚子とで温かい飲み物を用意しはじめていた。布団のぬくもりを失って外気(とはいっても暖房はついているが)に驚いていた体にしみる、優しい味に心がほどけるようだった。仕事を終わったあと、夜に飲みたいなと思った。柚子はまだふたつ残っている。

10時にひとつめの会議。11月の後半から掛け持ちで参画したプロジェクトから離任するので、その引き継ぎである。つらくてさんざん泣かされただけに、晴れ晴れとした気持ちだ。つらさの原因の大部分であったおじさんは、あいかわらず私には高圧的な物言いだったが、自分よりも上のベテランに過ちを指摘されてしどろもどろになっているのを見てつい笑ってしまった。めちゃくちゃださいな。言っていることは私もベテランもそう変わらなかったのに、若いからなのか、とにかく私の言葉にははなから耳を傾ける姿勢を持っていなかったことが、その態度の変容ぶりからよく窺えて、そのひとに感じていた諦念みたいなものは、よりはっきりとしたものになった。自分の経験が浅いのも、ベテランの言葉のほうが重みがあるのも当然の話なので、怒りを覚えることはない。ただ彼が、年齢や経験年数や役職といったものにとらわれて、目の前のひとを正当に評価することもできない、他者とそういう稚拙なコミュニケーションしかとれないまま数十年も生きてきてしまったことに心底同情するのみである。こういうひとに付き合っていたら、こちらの神経がすり減ってしまうから、相手にしないのが良い。対等に扱ってもらえないのならば、こちらもそうするまでのことだ。

午後は自分のチームの状況とこれからやるべきことの整理をしていた。やはり誰かの配下でいち作業者であることと、リーダーとでは、見える世界が違う気がする。けっして順調とはいえないし、プレッシャーはあるけれど、心地よい種類のものだ。わからないことを長文のチャットで送ると、これまた長文で丁寧に回答してくれる頼もしい先輩同僚たちがいてくれるので楽しめている。未熟でも、経験が浅くても、若くても、真摯に向き合おうとすれば、それに応えてくれるひとというのもまた、たしかにいるのだ。それを思うと嬉しくなる。午前中とはおおちがいですこと。円滑な仕事に信頼関係というのは不可欠なのである、私よりもずっと長い期間会社員をやっているくせして、こんな若造にもわかることがわからないなんてやっぱりかわいそうだけど、こんな愚かしい憐れみに身をやつすのも腹立たしい話なのでこのあたりにしておく。

私をリーダーにどうかと推してくれたのも、長文を返してくれたベテランそのひとである。彼の信頼と期待が、その丁寧な返答に透けてみえる気がして、嬉しくて一字一句零さぬようにと何度も読み返した。スポンジにでもなったような気分だ。ぜんぶ吸い込んでやる、という気概はある。あとは、燃え尽きないように注意すること。