4月4日(土)悲しさ欠乏

生活リズムが完膚なきまでに狂ってしまって、14時に起きた。リモートワークの弊害は、平日と休日の区別がつきにくくなることだと思いながらしばらく仕事をした。

夕飯は19時。体感ではまだ昼過ぎだ。葱とアンチョビのアヒージョ、アスパラガスのチーズグラタン、鶏むね肉と胡瓜のマスタードマヨネーズ和え、それから母の友人がやっているカフェでテイクアウトしてきたトムカーガイと、砂肝と牛蒡の山椒煮。今日もスパークリングワイン。

食後はもう仕事をする気分にはなれず、ドラマを3話見て、そのあとはひたすら文章を書いていた。

最近、もう会えなくなってしまったひとたちのことをしきりに思い出す。私のことを好きだと言っていたひと、最後まで好きだと言えなかったひとのこと。愛されることが怖くて拒絶して傷つけたひとたちのこと。たぶん、生活に悲しさが足りていないのだ。のっぺりしている。仕事もそれなりに順調だし、両親や恋人との関係も良好で、穏やかで、穏やかすぎる。傷つき足りないから、過去を引っ張り出している。随分と最低な話だなと思う。傷つけたひとたちのことを、今度は物語として消費しなきゃ飽き足りないらしい。本当は、思い切って連絡をとりたいと思う。彼女たちに会いたい。でも傷つけておいてそんなことができるはずもないから、ひとりで思い出すことしかできない。忘れたほうが償いになるのか、忘れないほうが償いになるのかは今でもよくわからない。