5月20日(水)納得したくない

今日はちゃんと自分で起きて、仕事をはじめるまえにラジオ体操もした。昨晩あれだけ心配したのは杞憂だったようで、会議もつつがなく終わった。午後の会議もけっこう役に立てた感触があった。総合的には悪くない一日だったはずなのに、なぜかぷつりと糸が切れて、あとはほとんど仕事にならなかった。こういうパフォーマンスのむらをもっと均すことができるようになりたい。最近、糸が切れる頻度が上がっていてちょっと不安だ。怖い。まえみたいに動けなくなることはもうないけれど、ぱったりと脳が拒否したみたいに思考が途切れる。こういう状況になってしまうと何をやってもだめで、寝る以外に方法がない。明日以降がもっとつらくなるのもわかっていて、早々に社用のパソコンは閉じたけれど、仕事をしていない罪悪感があるので気が休まらない。最低だ。

コンビニに用があって、霧雨のなか恋人と電話しながら歩いたのがよかった。紫陽花が色づきはじめている。ブタナとノゲシがすっかり綿毛になっていて、かたまって生えている様子がナウシカ腐海のようだった。カラスノエンドウの鞘はどれも黒くなって、弾けて内側のいぶし銀の色が見えているのもたくさんあった。ヒメコバンソウの群生が美しくて騒いでいたら、電話の向こうの恋人がすねていて愛おしかった。あまりに気に入ったので、ユウゲショウと一緒に数本抜いて、家に持って帰ってきて飾っている。ほかにはヒルザキツキミソウとか、ヒルガオとか、ワルナスビとかがいた。見かける野草のラインナップも確実に夏になりつつある。

BGMがほしいと思ってYouTubeを立ち上げたのが間違いだった。今日から公開されたセブンティーンのドキュメンタリーのサムネイルがうっかり目に入ってしまって、タイトルコールで13人が満面の笑顔をカメラに向けているのを見て、胸が熱くなってしまって再生を止めた。湧き上がった感情たちは名前をつける間もなく波みたいに引いて、あとにはコンサートに行きたいという感情だけが残った。彼らの見せてくれる宇宙が恋しい。好きになってはじめて参戦した2017年以降、日本のコンサートはすべて参加してきた。ほとんど意地になっていたようなところもあったのは確かだ。彼らの公演に行って後悔したことは一度たりともないけれど、体力的にも、金銭的にも、むりをしていなかったといったら嘘になるくらいには、がんばっていた。けっして健全な状態ではなかった。だから、仕事に精力を奪われて、その流れが途切れたのは、ある意味悪いことではなかったのかもしれない。ドキュメンタリーの中心に取り上げられていた2019年10月のオデコンは、はじめて日本で行かなかったコンサートだった。

それでも、じゃあ、身を粉にして仕事にほとんどを費やして、今が健全なのかっていったら全然そうじゃない。幸せか?と問われたら、好きを原動力に世界をまわっていたあの頃のほうが、ずっと、ずっとずっと幸せだったと即答する。セブンティーンが恋しい。今私の手元に入ってくるお金は、私が愛するものを犠牲にして得たものだというのを絶対に忘れまいと思う。

仕事を憎んでしまったら、私はいよいよこの生活が耐えられなくなる。それがわかっているから、仕事はきらいじゃない、なんて言ってみたりするのだ。ほかの生き方をできるほど器用じゃないのはわかっているから、心穏やかに付き合うためには、好きでいてあげるしかない。でも、ほんとうは、ぐちゃぐちゃに握りつぶして、踏みにじって、捨ててしまいたいくらい仕事がきらいなのかもしれない。残業なしでは成り立たない業界で、それをわかっていて入社したのも事実だから、文句をいうだけ野暮だと思ってきた。浮き沈みはありながらも、努力をしてきたと胸を張って言えるくらいの仕事はできている自負もあるし、実際評価も悪くない。でも、それって、けっきょく都合よく搾取されているだけだなと気が付いてしまった。褒めて、おだてて、期待にこたえたいっていう私の実直さを利用されているだけだ。8時間以上働いている今の状況が当然だという空気は、もう終わりにしたい。ぶっこわしたい。私の優秀さと善意にあやからないでほしい。

8時間で終わるように、自分のスキルをあげればいいだとか、効率が悪いから残業になるんだとか、よく冗談として交わされる会話だ。真実である。それでも、「こうしたいならまずこれをできるようになろう」みたいな圧力に負けてる時点でだめだなと思う。私よりも優秀なひとが8時間で終わらせることのできる仕事を、私は8時間で終わらせられないとしても、私の実力不足は残業する理由たりえない。私が未熟なのは事実だし、その改善努力義務はあるかもしれないけれど、残業をする義務はない。ほだされて、まあいいかで善意で仕事してる自分も情けなくて惨めだ。悔しい。もっと強くなりたい。仕事をきらいだということもまだためらっている。