5月27日(水)ウリ

会議資料を作り終わったのは6時半をまわっていた。数時間眠って、会議はなんとか乗り切った。どんなに付け焼き刃でも、会議の体をなさないほど破綻することはない、というのはわかってきたし、実際今回もそのとおりになったので、そういうところは成長と呼んでもいいのかもしれないと思う。12時に会議が終わってからはしばらく微睡んで睡眠を補って、14時からの会議もまあまあな感じでこなした。ねむい、やすみたい、とうわごとのようにつぶやきながらも20時過ぎまではそれなりに仕事をした。あー、えらい。ほんとう、私、えらい。

私がまだしかめ面でパソコンに対峙している頃、父と話していた母がふと、「あ、大親友になった」と言ったのが耳に入った。「きみら、大親友なの?」と尋ねると、母は「うん、そう」と返事をよこした。しばらくふたりの会話を聞いていたら、両親がそろって熱をあげているポケモンGOにはどうもフレンド機能というのがあって、他ユーザーとフレンドになるとアイテムの受け渡しができるなどの良いことがあるらしいこと、フレンド間の親密度には、仲良しとか親友だとか段階があるらしいことがわかった。母のつぶやきは、ちょうど母と父の関係が親友から大親友へとランクアップしたということのようだった。背景がわかってしまえばなんということもない発言なのだけど、母が父のことをためらいもなく「大親友」と表現したのがなんだか面白くて、こっそり笑った。楽しそうでいい。

恋人と1時間半ほど電話した。楽しかった。善意の残業にあやかる仕事の形をゆるさない方向に組織を変えようねという話をした。話すごとに、このひととまだ一緒にいたいと思う。私が弱いせいで咄嗟に不誠実をぶつけてしまうこともあるけれど、お互いが一緒にいることを選び続けるために必要なことはしたいと思ったから、前の晩、剣呑な物言いをしてしまったことを謝った。このひとといる時間の解像度を、私も落としたくはないのだ。セブンティーンの歌詞を反芻している。
 익숙함에 속아 잃지 않았으면 해 서로가 우리라는 말이 지켜질 수 있게
 慣れていくうちに忘れないといい、お互いが「僕ら」という言葉を守れるように

ひさしぶりにジャズが聴きたくなって、上原ひろみのコンサートの映像をいくつか観ていた。ほんとうにピアノを弾くことが好きでたまらないんだろうなというのは、彼女の紡ぎ出す音が雄弁に語っている。いつだか、なにかの番組に出演していた彼女が、視聴者から「ピアノの練習がつらいと思ったことはあるか」というような問いかけをされて、一度たりともないときっぱり言い切っていた姿をよく覚えている。彼女の指が鍵盤を自在に走るさまを見ていると、神とはこういうところに宿るのかもしれないと思わされてしまうような気迫がある。トリオを組んでいるベーシストやドラマーにしてもそうだ。しばらく聴いていたら目の奥が熱くなった。

今夜はキース・ジャレットを聴いて眠ることにする。