5月29日(金)熱

筆が乗って新入社員の研修資料を作り始めたら、朝5時半になっていた。馬鹿だ、と思いながら寝た。朝は、同じく9時半から電話会議だった父とのリビング使用権競争に負けたので、布団の中で会議に参加していた。意識が何度か飛んでいる。午後ひとつめの会議を終えてから、次までにすこし余裕があったので、昼間にシャワーを浴びた。浴室を出たあと、肌にかすめる初夏の空気が心地よかった。

15時からは四半期に一度の、所属組織の勉強会だった。いつも私がとても楽しみにしている場である。仕事がわかるようになるにつれてどんどん楽しくなっている。クライアントを優先するのが大原則のこの業種にあって、クライアントに無理をおねがいして会議を動かしてもらって3時間を捻出するのは、けっこう並大抵のことではない。なおのこと、組織は同じでも、所属するプロジェクトがそれぞれ異なるから、予定はてんでばらばらだ。どうしたって参加は強制にできないし、途中参加・途中退室も自由だ。それでも、出席率は高い。会議室でわいわいディスカッションするのがいちばん楽しいけれど、リモート会議の開催となった今日も、かわらず楽しかった。盛り上がったせいで、終了予定時刻は大幅に越えての解散だったが、とても3時間半以上もあったとは思えなかった。

中学生のころ、ほんとうはネイティブに近い発音をできるのに、それを隠していたことがある。教員に当てられて教科書の例文を読むとき、わざとたどたどしくカタカナに寄せた発音をしていた。あの頃の私に、まったく恥じる必要のないはずの能力を隠すことを強いたのは、連綿と教室の底に流れ続けるひんやりとした空気だった。あの、誰も言葉にするでもない、目に見えるでもないものの正体を「空気」と最初に表現したひとはすごい。とにかく、そういうものはたしかに存在していた。ひとと同じように振る舞うことに対する強迫観念というよりは、教員に求められた場できれいに発音をすること、すなわち真剣に授業に臨む姿勢を他者に見せることに対する抵抗感が強かったような気がする。同じようにわざわざカタコト英語を実践していた人間が私だけではないことは、帰国生の多い高校に入学してから知った。学ぼうとする姿勢や熱心さを隠さないことがダサいという空気から解放されたのは、大学に入ってからだった。私はここに学びに来ているのだ、という姿勢を明確に見せるまっすぐな人たちに囲まれた4年間は、それはもう劣等感に苛まれるつらいものだったけれど、ああいうひとびとに出会っていなければ、私はたぶん自分の中の「勉強したい」という欲求を素直に認められるようにならなかった。

その大学で受けたなかで、未だに忘れられない、おそらく死ぬまで忘れることのないだろう講義がある。教育行政学だ。受講者が60人ほどの、私の大学にしては比較的規模の大きい講義だった。教職課程の必修単位だったから、私を含めて教職を志している学生が多かったと思う。といっても、講義の内容はほとんど覚えていない。毎回すごく面白くて、その曜日が楽しみだったことを微かにおぼえている程度だ。それでも記憶に刻まれているのは、その学期が終わる最後の講義で、講師が学生に向けた熱のこもったメッセージを言い終えたとき、教室のどこからともなく拍手が湧いて、うねりのように教室を満たしたあの瞬間が強烈だったからだ。あのときの教室の空気の熱さを忘れることができない。それは中学生のときに感じていた冷たさの対局にあるものだった。

マイケル・サンデルの白熱教室を観ていたとき、講義の最後に学生たちが拍手をするのがずっと不思議だった。アメリカの大学では、そういう文化があるのかな、程度に思っていた。実際のところ、サンデルの講義を受けていたひとびとがどういう理由で拍手をしていたのかについては知るよしもないけれど、すくなくとも私はその教育行政学の授業で、周りへの同調からではなく、ただ講義への賛辞のために拍手をしたいという衝動に駆られるような授業がこの世界に存在することを知った。けっきょく教員の道に進むことは諦めたけれど、あの光景は今でも私の希望だ。

会社の勉強会に出ていると、それに似たものを感じる。あの場に出席する同僚や上司たちは、希望を描くことを、前に進むことを厭わないひとたちだ。眩しくて自分が惨めに思える反面、一緒に働くのはとても楽しい。なにより、こういう場を主導するひとが直属の上司でほんとうによかったと思う。学ぶことを軽視していたら、何ヶ月も前からもっと上のえらいひとのスケジュールを押さえて、クライアントとの会議を動かしてまで、こういう取り組みを続けることはしないだろうから。悔しいけど、労働時間を除けばほんとうに良い会社だと思う。労働時間を除けば。

夕飯はゴーヤチャンプルーだった。食卓も日々夏になりゆく。

すきだった女の子の誕生日だった。最後に連絡をとったのは去年の秋だ。連絡をとるなら今日が最後のチャンスだったのかもしれないけど、できないまま日付が変わってしまった。でも、それで正解だ。いまさら友人に戻れるわけでもないし、ましてや恋を再開したいわけでもない。ただもう経験することのないであろう眩しい片想いがすこし恋しい。