6月13日(土)レイニー・バースデー

10時起床。掃除機を途中までかけた。着替えて、化粧をして、アクセサリーをつけて、都心に向かった。在宅勤務に移行したのが3月の中旬で、それ以降は実家にひきこもっていたので、電車に乗ったのは実に3ヶ月弱ぶりのことだ。あまりにも久しぶりのことなので、駅に向かう途中で、長期間非アクティブユーザーだったからみたいな理由で交通系ICカードが使えなくなっていやしないだろうかなどと、あるはずもないことを考えてしまった。もちろん、改札は無事に通過した。すこしばかり緊張しつつ電車に乗り込んだが、拍子抜けするほど、以前と変わらなかった。マスクの着用率がすこし高まったくらいだろうか。もしや、外出を控えよという呼びかけに素直に応じていたのは自分だけで、世間はこの数ヶ月、まったく同じように動き続けていたのではないかと思うほど、その光景は変わりのないものだった。雨脚は強かったにもかかわらず、目的地は以前とかわらず賑わっていて、傘をかしげてもぶつかってしまうほどだった。

友人と会うのも、いつぶりだかわからないほどだった。彼女は私の髪が伸びたことに驚いていた。それもそのはずで、前に会った時には、まだ束でくくれなかったのだ。今ではすっかり肩に届いて、短いポニーテールができるようになっている。

今日が誕生日の友人に、なにか食べたいものはないかと尋ねたら「肉!」と威勢よく返ってきたので、焼肉屋に行くことにした。水曜に恋人と食べた焼肉も幸福の味がしたが、それはそれとして、店で食べる肉のことはとても恋しかったので、私にとってもこのうえない話だった。土砂降りの中をすこし歩いて、目当ての焼肉屋に行ったら貸切状態だった。正午をまわる前に、我々の前には生ビールのジョッキと、網の上で焼かれるタンと、ナムルとキムチの盛り合わせとが並んだ。このところの近況と、社会情勢に対する愚痴とを経て、学びなおしたい、という話で小一時間盛り上がった。私はもういちど大学に通いたくて、彼女は海外の大学院に行きたい。「大学院に行きたいって言うとなんのために?って聞かれるけど、勉強したい以外の理由とかあるわけないよね」という彼女のことが、私は好きである。お金の問題だとか、仕事をやめるならいつにするかとかいう話をしながら、30代のあいだには、お互い夢を叶えられるといいね、というところに落ち着いた。親しくなったのは大学にあがってからだが、高校1年の時にも同じクラスだったので、付き合いは12年めになる。中間考査期末考査の前にだけ、英語のテストの範囲についてやりとりをする程度の関係だった私たちが、12年後、昼間から酒を飲み交わす仲になろうとは、夢にも思わなかった。

そう、わかっているのだ。収入のない状態で、学費と生活費と税金その他を数年間やりくりできるのに、どれほどのお金が必要なのか。その額を貯めるのに、今からどれだけの時間を要するのか。運のいいことに順調に確立しはじめた会社員としての自分の立ち位置を、手放して良いのかどうか。手放すとしたらいつが良いのか。そこからしばらくのあいだ離れることにしたとして、同じ位置に帰ってこれる保証はどこにもない。そういうことを考えていかなければいけないのだというのは、わかっている。未来のことを。このさきも生きていくことを、自分が存在し続けることを私は私にゆるしたから、その未来を引き受けるための道筋も、私自身が描かなくてはいけないのだ。

昼食のあとは、雨宿りがてら、近くの喫茶店に入って、フェミニズムだとか、精神医学におけるカウンセリングの意義だとか、最近見ているドラマだとか、一人暮らしに必要なものだとかについて、ぽつぽつと言葉を交わしていた。雨脚が弱くなった頃を見計らって出るつもりだったが、一向に弱まる気配がなかったので、諦めて外に出た。行き先は大型インテリアショップだ。友人は近々引っ越しを控えている。9階建てのビルを上から順に丹念に見て回った。私は数年ばかりの一人暮らしの先駆者として、先輩風を吹かせておいた。

全フロアを歩き回るとさすがに脚が疲れて、再びカフェに入った。さすがにふたりとも疲れていた。沈黙をはさみつつ、あれやこれや思い出したように話した。家族というコミュニティーの悪質性について、出産と子育てについて、ピアスを開けたい場所について、好きなテレビ番組について、ネイルサロンについて。そうこうするうちに閉店時間になってしまって、彼女とは別れた。

帰宅してからは、電車の中で読み終わらなかった文庫本の最後の数十ページを読み切った。川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』、昨日本屋で1時間近くうろうろした末に手にとったものである。わかるような、わからないような話だった。小説の読み方を忘れてしまったような気がした。夢中で読んだのは確かなのに、楽しんだのかどうかさえ、判然としない。百科事典ほども厚いジュール・ヴェルヌの本にかじりついていた小学生の頃は、たしかに楽しかったはずなのに。日増しに、自分の欲望が滲んでいくような気がする。何が読みたいのか、何が見たいのか、何を知りたいのか。どう生きたいのか。