千種創一『千夜曳獏』

砂丘律』ですっかり魅せられた千種創一の新刊。発売の知らせを本人のツイッターで見て、その日のうちにAmazonで予約をしたものの、発売日から一週間経っても手元に届かず、在庫も表示されないまま。倉庫には入荷されているはずなのになぜか反映されないとのことで、どうやらこの時世で処理が滞っている様子。せっかく予約したことだし気長に待とうと思っていたけれど、本屋とかで先に手に入れたひとのツイートを頻繁に見かけるようになって、羨ましさを募らせていた。そういうツイートのひとつに、「版元に直接注文したらすぐに対応してくれた」というのがあり、それならばと予約はキャンセルして、青磁社にメールをした。1時間も経たないうちに返事が来て、住所を伝えたらその日のうちに発送してくれた。週明け、郵便受けを覗いて青磁色の封筒が投函されているのを認めたときの、ああいう胸の高鳴りをいくつになっても大事にできたらいい。

短歌集を読む時間というのは、内省の時間に近い。だから、焦燥感に苛まれているときには読みたくない。心が凪いでいるときじゃないと、31文字なんて視線が滑って終わりだからだ。言葉の短い連なりをつかまえて、解釈して、心の中に描き出してみる。歌と歌のあいだの空白に、自分の風景が、感情がうかぶ。鏡のようでもあるし、会話のようでもあるなと思う。小説よりも短歌を読むことを好むようになったのは、体力がなくなってきているんだと思っていたけれど、たぶん、他者の作品でありながら、そのあいまに私が存在できる余地があるのが嬉しいのかもしれない。ゆるされているような感じがする。もっと自分のことについて考える時間が長かった頃は違ったけれど、今の私が私と向き合うためには手助けが必要で、短歌がその役割を担っているような気がする。

千種創一の短歌は、ふしぎな空気をまとっている。そこに描写された風景は、まるで自分が見たかのようにありありと描き出せるのに、すごく鮮明なのに、たぶん千種創一自身が描こうとしたものとはぜんぜん違うんだろうなという確信もある。 色彩だけじゃなく匂いまで感じとることができるのに、その匂いには馴染みがない。知っているのに、知らない。近いのに、遠い。同じ方向を向いているのに、違うものを見ている。向かい合っていても視線が合わない、そういうさみしさが、彼の詠む歌には滲んでいる。

いまの私の10選。たぶん、夏が終わったころに選んだらまた違う顔ぶれになるんだろう。

どうやっても悔やむであろうこの夏をふたりで生きる、花を撮りつつ
峠からみれば豪雨は天と地をつなぐかなしい柱 都よ
点けないで。月でいいから。 ブラインドずらすため伸びてく腕、僕の
駅前に来て手をほどく、ほどかれる、朝日は正しすぎる暴力
ことばとは思索の花弁 浅はかな桔梗を銀の網棚へ上げ
このアカウントは存在しません 桃は剝くとしばらく手から香るから好き
感情があなたへ流れていくときの中洲に鷺は立ち尽くすのみ
選ぶとは捨てること、じゃないだろう。夜、駅は舞台のように明るい
火。陽。日。正しい漢字を選びつつ老いていくことすごく正しい
雨季の庭に細いきのこがあるようなあなたの愛しい誤字を見つける

雨の匂いが濃い歌集だった。呼吸が深くなった。