7月1日(水)I’m better than yesterday

今日はいいだろうと思って、ジノの歌を聴きながら、ハーゲンダッツを食べている。7月になった。6月に入ったときには、もう6月なのかとびっくりした気がするけれど、なぜか今はそんなもんかな、という気がする。書きたいことはたくさんあるはずなのに、今の私にはそれを掘り下げる勇気がなくて、すこしずつ心を押して痛くないところを探りながら言葉を選んでいる。

恋人と別れた。ずっと前から決めていたことだった。遅すぎるくらいだ。6月の晦日は、半年分の罪や穢を清めるための、夏越の祓の日なのだそうだ。関東は午後から豪雨、という文字を見かけて、なるほどなあ、と思った。別れたことを伝えた友人たちには、おめでとうとか、I'm very proud of youとか言われた。そういうふうに言われる恋愛をしていたんだよなあと思って、散々泣いていた。昨日のこと。

低気圧と泣き過ぎで頭蓋骨がはじけるんじゃないかってくらいの頭痛に襲われて、いっそ朝の会議も仮病つかって休んでしまおうかとも考えたけれど、けっきょく夜中になってから食事をちゃんと作って、筋トレをして、シャワーを浴びて、会議資料を作った。会議は無事に終わった。

すこしまえに手続きをした銀行のインターネットバンキングの書類が昼過ぎに届いた。それで、家計簿アプリへの口座情報の自動連携を再設定した。APIがサービス終了してから連携されていなかった分のボーナスと2ヶ月分の給料がどかんと反映されたので、とつぜん懐が温まったようでちょっと気分をよくした。10万円の給付金も振り込まれていた。もともと全額寄付に充てようと思ってはいたけれど、寄付先はまだ決めていない。どこにしよう、と考えながら、大丈夫だなと思った。

この世界で、傷つくべきひとなんか、ひとりもいない。誰かを傷つけてもいい資格なんて、誰にもない。誰も傷つけないで生きることはできないけど、傷つけまいと努力することはできる。常に正しくあれないから、正しくあろうとする、そういう人間でありたいとずっと思ってきた。けっしてできた人間じゃないけど、できた人間じゃないからこそ、正しくあろうとする自分でいることが私にとっては生きていることに対する贖罪で、自分が生きててもいいと思える拠り所だった。だから、誰かを傷つけることがわかりきっている関係から抜け出せない自分がゆるせなかった。どんなにほかのところで正しく生きようとしたって、決定的な過ちを正せていないんだから、ぜんぶ空虚だった。寄付をしようと、差別に抗って声をあげようと、その価値を、ほかでもない私自身が殺していた。10万円の寄付先を考えながら、やっとちゃんと正しくできる、と思った。生きていていいんだ。ゆるせるんだ。そう思ったらほっとした。

昼食はちゃんと胡瓜を刻んで、トマトも薄切りにして、マヨネーズを塗った食パンにツナといっしょにのっけてオープンサンドにした。先日恋人あらため好きな男が作ってくれたピザトーストにはかなわなかったけれど、これはこれで悪くなかった。それからわりとちゃんと仕事をして、フィットネスバイクに乗りながらドラマを見て、筋トレをして、シャワーを浴びて、夕飯をとった。半年ぶりに、月の目標も立てた。ちゃんと生きようって、久しぶりに思った気がする。

死ぬまで好きでいたい、という願いが、どれほど強固で永続的なものかわからない。私は私を信用できないもの。でも、好きになったことを後悔しないし、死ぬまで好きでいたいと今思っていることもたしかだし、好きと正しさは両立できる。
Youtubeでジノの歌を聞いていたら、自動再生でTillが流れてきた。大好きな歌手が歌う、I'm better than yesterday というフレーズを、もういちど心に刻みつけた。まだがんばれる。