7時30分に起きる。先日のオンライン飲み会で久しぶりに会話した友人と、オンライン読書会をやることにしたので、週明けからはだいたい毎日この時間に起きている。いわゆる朝活というやつ。7時45分から8時15分までの30分間、ビデオ通話をつないで、おはよう以外に言葉を交わすこともなく、めいめい好きな本を読むだけというシンプルな会だ。でも、相手がいることなのできちんと起きられるのと、短いとはいえきちんと読書時間を確保できるので、すっかり気に入ってしまった。リモートワークが続くうちは継続してみたいなと思っている。今は本を読む時間なのである、とはじめから決めておくから、ほかのことに気持ちを乱されなくてすむのが良い。
8時半、今度こそ『若草物語』を観るために、隣町の映画館へ。小さいシアターだったのもあるが、販売されている席はほとんど埋まっているように見えた。芸術の批評というのが苦手なので、うまいことこの感覚を咀嚼できないのだけど、観てよかった作品だった。誰にも読まれないかもしれない、とこぼすジョーに、書かれたことのない物語だからだ、と返すエイミーの言葉は、そのまま私が欲していたものであるかもしれなかった。私は私の物語を書いていいのだ。破天荒でもファンタジックでもない、平凡な、ただそこに生きているひとの物語を。
11時に上映が終わり、そのまま帰宅するのはなんだか癪な気がして、また植物園まで足を伸ばすことにした。植物園の近くの蕎麦屋で昼食をとって、日曜には行かなかった分園のほうに入ってみた。雨が降っていたのと、本園からはやや距離があることもあって、私のほかには誰もいなかった。
本園のほうは、人間に鑑賞されることを前提として丁寧に整備されているきらいがあるのだが、こちらは草花の歓びの声が聞こえてくるような空間だった。思い思いの方向に枝や葉を伸ばし、ところせましとひしめき合うここでは、確実に、人間のほうがよそ者だった。嬉しくてたまらず、結局、足が痛くなるまで2時間以上そこで過ごした。もともと来るつもりではなかったのでフラットシューズパンプスで来てしまったが、スニーカーを履いていたらあと2時間は過ごせたかもしれない。
人気のない園内。雨と土の匂いが満ちる空間。
あまりきれいに撮れなかったキンミズヒキ
ぽしょぽしょと見え隠れするヌマトラノオ
花弁がひとつ欠けているミズキンバイ
ヤブマオ。イラクサに似ているなあとは思っていたけど、やっと名前がわかってすっきりした。読みはあたっていて、イラクサ科。
ヤブミョウガはそろそろ見飽きるくらい咲いていた。
ピントをあわせるのにかなり苦労して、唯一まともに撮れたミズヒキ。
雨宿り。ヒトリガの仲間だろうか……虫もわかるようになったら楽しそうと思うのだけど、広大な世界すぎて、素人にはさっぱりなのである。
ワルナスビの群生。見つけるといつも嬉しくなってしまう。こことは別の所で見つけたときには、葉の裏に虫の卵がたくさんついていた。たぶんニジュウヤホシテントウだろう。そのうち、うちのマンションの前のイヌホオズキみたいに食い散らかされてしまうのだろうか。
ハギと水滴。どうして透明な球体ってこんなにも心惹かれるのだろう。
タマスダレ、別名レイン・リリーともいうらしい。なるほど雨粒をまとった自分の魅せ方をわかっていらっしゃる。
ノカンゾウがよく咲いていた。曇天に鮮やかな朱が映える。
今日のMVPはやはりミソハギだろうか、見事のひとこと。
シソ科の何か。調べたかぎりカラミンサ・ネペタというやつに思えるけれど、シソ科も幅の広い仲間だし、あまり自信はない。
そのほか、うまく写真は撮れなかったけれど、コウホネ、セリ、ヤブカラシ、ハキダメギク(ひどい名前だ)、キツネノボタン、オグルマなんかも見かけた。雨の植物園、みんな生き生きしていて、きらきらしていて、最高だった。これ以上水害が起きるのも嫌だし、梅雨前線にはそろそろ退散してほしいけれど、また雨の日に来たい。実家に戻っていた期間、両親と毎週のように同じ公園に出かけては季節の移ろいを確かめていて、戻ってきてからそれができなくてちょっと残念だったので、これからはここを定点観測の場にしてみようかな、と考えている。今度はちゃんとスニーカーで、レインウェアを着て、一眼レフとマクロレンズを持っていきたい。
16時くらいに帰宅して、歩き疲れたせいかしばらく微睡んでいた。それから買い物をして夕食を作った。よほど外食にしてしまおうかと思ったけれど、そろそろ古くなりつつある茄子が気にかかったので、気持ちを奮い立たせて台所に立った。茄子は素揚げにして、酢醤油で和えて中華風にした。それと、母が先日作っていて美味しそうだった、トマトと梅干しの炊き込みご飯。あとは昨日の作り置きの胡瓜のマスタードサラダと回鍋肉と、インスタントのもずくスープ。かなり横着しているけど、ちゃんと一汁三菜だし、幸せになれる食事だったので良かった。味の濃いおかずばかりになってしまったので、白米のほうが良かったかなと思わないでもないけれど、炊き込みご飯は美味しかった。炊きあがったところに刻んだ茗荷をいれてさっくり混ぜると、さっぱりしていていくらでも食べられるような気がする。
ほんとうは買い物に出るたびにとうもろこしに目がいくのだけど、とうもろこしご飯を作る勇気はまだない。まだ去年のとうもろこしご飯を塗り替えたくない。
感染状況は日に日に悪化している。ひとりでいることは厭わないたちと思っていたけれど、それなりに削られているのか、疲れやすくなっている気がする。好きな男と話がしたい。誰とも会わない時間というのは、それ自体に意味があるのではなく、誰かと会う時間があるからこそだったんだな、という、当たり前といえば当たり前の結論に思い至ってみたりした。発する言葉の幅が、思考が、私の存在が、薄くなっている。いつまでこうなんだろう。