7月24日(金)冬眠前

7時30分に起きる。読書会は、今日はひとり知らないひとが参加していた。友人とそのひとは二言三言、会話をしていたが、私とは画面越しに会釈をしただけで、言葉はとくに交わさなかった。つないでいる瞬間にしか発生しない人間関係、こういうのは交わったというのだろうか。新書を4章ほど読み進めた。日曜には読み終われそうだ。8時15分になったら、それじゃあまた、と通話が切れる。

昨日の夜の洗い物を片付けたあと、眠気に負けて1時間ほど布団にたましいを吸い取られていた。起床が早くなったのは結構なことだが、就寝時間がそう変わっていないせいで、睡眠が足りていないのだ。日付が変わる頃には眠る習慣をつけたい。

昼過ぎ、電車に乗って都心の美容院へ。この3年弱ほど担当してもらっているスタイリストは、転職を考えはじめたのだと話してくれた。彼は私と同い年で、年明けからは新しくできた店舗の店長に抜擢されたくらいだから、優秀なんだろう。技術ももちろんあるのだろうけれど、周囲のスタッフの動きをきちんと把握していて、的確に指示を出すところを見ていると、その非凡さはなんとなく感じる。とにかくよく気の付くひとなのだ。かといって、客への対応をおろそかにしているわけでもない。私としては、髪を切って染めてもらっていい感じになればいいので、丁重な扱いを求めているわけではないのだけど、それはそれとして、彼の仕事に対する姿勢は誠実で、好感が持てる。彼の丁寧な態度は、考えるサービスの理想像というのがおそらくあって、それを実践しようとしているに過ぎず、親密な対人関係の構築を求められているわけではない、というのが気楽なのかもしれない。

転職の理由はというと、名実ともに店のトップになってしまって、自分の実力が打ち止めになっているように感じて、そこにフラストレーションをおぼえたのだという。僕よりもっとすごい人と働きたいんですよね、まだもっと勉強できることはあるはずなのに、と話していたのが印象的だった。自分の技量に確固とした自信を持っている一方で、それが最良ではないことも承知している。プロフェッショナルという言葉は、こういう、矜持と謙遜が同居するひとのためにあるのかもしれない、などと思う。仕事ができるようになりたいという気持ちは私にも多少なりともあるけれど、彼の向学心というのが、この仕事に対する愛に裏打ちされたものであることが窺い知れるだけに眩しい。好きなことを仕事にできるのが幸福とは限らないと思うけれど、彼にとって天職なんだろうなあというのはわかる。同世代に、ぜんぜん違う業界で、恰好良いと思える対象がいるのは、なかなか悪くない(同僚にいたら嫉妬もするだろうし、ちょっと煙たがってしまう気がするけれど)。とはいえ、すこし遠いのと、価格帯としてはやや高めなこともあり、いっそこの機会に地元の美容院を探そうかなあ、という気持ちもないのではないのだけど……。

都心まで出ることもしばらくないだろうと思って、帰りに百貨店をひやかしていくことにした。眺めるだけのつもりだったのに、気がついたらネックレスとブレスレットの小箱が入った手提げ袋が手元にあった。

購入したことに後悔はないものの、ブレスレットを試着しているとき、毛の処理をしていなかったことに気がついてしまって、かなり居心地の悪い思いをしたせいで、ちょっと後味が悪い。もちろん店員さんがそれについて言及するようなことはないのだけど、「ちょっとサボっちゃって、あはは、見苦しくてすみません」などと言い訳したい気分に駆られるのを必死でこらえた。そんなことを口走っても店員さんが困るだけだろうというのもあったし、そんな発言をすることで、処理をしないことが悪いことであるというのを自ら認める格好になるのも癪だった。何が見苦しいだ。自分のなかに深々と根ざすルッキズムを突きつけられて閉口している。きれいになりたい、と思う。でもそれは、きれいにならなきゃ、の間違いではないだろうか、と時々わからなくなるのだ。欲望と強迫観念の境界線はいったいどこにあるのだろう。美しい宝飾品を身につけたいと思うことはまぎれもなく私の欲求だし、それが満たされて幸せになれるはずなのに、毛のせいで、否、毛を忌み嫌う文化社会に生きているせいで、美しいものを身につけた自分を即座に愛せない。悲しいし、腹立たしい。自分の欲にだけ忠実であれたら、どんなにかいいだろう。「正しい女」に寄せることで得られる安心感なんていらない、と突っぱねられるくらい強ければいいのに。

午後3時、空腹を感じて老舗の和菓子屋に入った。あんみつを食べた。

そこからさらにすこし足を伸ばして、好きな画家の個展に行った。開催しているギャラリーがクライアントのオフィスの目と鼻の先で、何度も前を通っていた建物だったので驚いた。小さなギャラリーで、展示の数もそう多くはなかったけれど、数年ほどSNSで見てきた作品をついにこの目で見ることができたのが嬉しくてたまらなかった。ご本人と、年配のギャラリーのオーナーとで思いがけず野草の話に花を咲かせることができたのも嬉しかった。つい、前の日の雨の植物園の写真をいくつか見せると、ほんとうに好きなのねえ、とオーナーににっこりされた。丁寧に整備された公園なんかよりも、わさわさと茂ったありのままのほうがいいわよね、とのことで3人で一致した。かなり年代の異なるひとたちと、こんなふうに好きなものの話で盛り上がれるのは幸せなことだ。ツユクサの絵葉書を購入した。

そのあとは、その近くの大きな書店に行って、ここでも予定外の買い物をたくさんしてしまった。戦利品は、スミソニアン博物館が監修している『宝石と鉱物の大図鑑』、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』、ヴァージニア・ウルフ『女性にとっての職業』、沢木耕太郎『246』『旅の窓』など。