7月27日(月)

7時半に起きる。昨晩、そろそろ寝ようかという午前1時前になって、例のごとく酔っ払った元恋人から電話がかかってきて、けっきょく2時前まで会話していたので眠い。昔はもっと会話が成り立たないくらいに酩酊して電話してくることが多かったけれど、最近はわりと会話が成立する。昨日でレストランは閉店したらしい。そうとは言っていなかったが、寂しいのだろう。そうでもなければ連絡もとってこない男である。

読書会で福岡伸一生物と無生物のあいだ』を読み終える。いつもどおり前の晩の皿を洗おうとシンクの前にたった瞬間、今日は8時半から会議だったことを思い出した。間一髪で間に合って、自分の気まぐれな記憶に感謝する。

一歩も家から出ず、書きたいこともない。書きたいことがないというのは、思考していないことと同じで、それが怖い。自分がどうやって生きていたのかわからずに一日が終わることほど恐ろしいことはないし、その恐怖に抗うために日記をつけているはずなのに、こうして文章を生み出そうとしてなお、途方に暮れてしまう。それを打ち消そうと長々と文章を書こうとしたりしてしまって、さらに虚無感が増幅する。

一日の長さは等しいはずなのに、こうやって書くことがないと、まるで自分はほとんど眠って過ごしたのではないかと思ってしまう。それはやがて、生活を充実させなくてはいけないという強迫観念に変貌しうるものだとわかっているので、嫌だなあと思う。物理的な予定を詰め込んだって充実感は得られないけれど、けっきょく外界と接することでしか、ひとは思考できないんだな、というのが感染症の蔓延を通じて学んだことのひとつ。人間はひとりでものを考えることはできない。すくなくとも、私は。

ひとつ良かったのは、ようやく婦人科と歯科の予約をとったこと。心の端にずっとこびりついていた曇りをついに叩きのめすことができて、大きな仕事を終えたときのような解放感である。もっとも、予約した時間にきちんと行くという、次のハードルが待ち受けているのだけど。