11月11日(水)地上のまなざし

今日も9時ぎりぎりまで眠る。早起きさえ諦めてしまえば、6時間の睡眠を確保することは容易いけれど、朝から敗北の気分を味わうのは楽しいものではない。負け癖がついていると思う。自分に対して、である。

今日こそ新幹線の中で本を読むつもりだったのに、他人の二次創作小説を読んでいたら1時間半が経過していた。私はふだん、他者の文章を読むとき、頭の中で添削しながら読む悪癖がある(というより、自分だったら同じ内容をどういう語彙で表現するかを考えるのがやめられない)のだが、それを忘れてしまうくらい引き込まれる作品というのに、ときおり出くわすことがある。今日読んだのはそれだった。単純な文章の技巧でいえばけっして優れているとはいいがたいのに、展開だけで引きずられるような、ブラックホールみたいな物語。何度も新幹線の中で嗚咽をこらえる羽目になった。どうしたら、こんな物語を思いつくのだろう。

私は自分の文章のことがとても好きだけれど、それはあくまで言い回しの話だ。想像力とか創造力とか、そういうものは決定的に欠けていると思う。だから、そういう引力を伴った作品を生み出せる人のことが心底うらやましい。他人の物語は、もっと自由だ。私には、どうしてそんなふうに飛べるんだろう、って地上から見上げることしかできない。書こうとしても、足裏に感じるかたい地面の感触が拭えない。『ハイキュー!!』にここまで魅せられたのも、あれが徹底的に重力を感じさせない物語だからだろうと思う。

夕方の会議で、同僚が上司に延々と詰められていた。上司の言っていることは正しい。いささか率直すぎるきらいはあるにせよ、攻撃的な意図は感じられないし、暴言や人格否定が入るわけでもない。ただ淡々と、資料の悪いところを指摘しているに過ぎない。同僚のほうも逐一正面から受け止めて落ち込むようなタイプでもないので、飄々と返答していた。そんな調子だから、場の空気が重いというわけでもない。直接その話題に関係のない私はほとんど聞き流しながら、早く終わらないかなあと思った。そう思ってから、数日前に同僚がぼそぼそとその上司の愚痴をこぼしていたことを思い出して、ぎょっとした。私は今、同僚が感じているかもしれない居心地の悪さを、無意識に軽視しやしなかったか、と思ったからだ。そこで私が何をできたわけでもないのだけど、でも、そうやって誰かのつらさを勝手に推し量って切り捨てた自分の傲慢さがたまらなく嫌だった。だって、あの言葉の向く先が自分だったら、きっと逃げ出したくてたまらないはずなのに。すこし前に読んだ、ヤマシタトモコの『違国日記』にあった「大人って傷つかないと思ってた」という台詞を思い出した。

珍しく会議資料は22時前に作り終えたので、浴槽に湯を溜めて、『Free!』を2話観た。タイトルの通り、自由の話だ。京都アニメーションの作品は、先月のはじめに観た『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』に続き2作目。桜の花弁がプールの水面に浮かぶシーンが美しくて、宝物みたいな作品だな、と思った。遙も、真琴も、渚も、怜も、凛も、すごくお互いを大事に思っていて、だからこそ、彼らの関係は張り詰めた糸のような、薄いガラスのような、危うさを感じる。何かひとつでも歯車がまわらなくなったら元に戻れなくなってしまいそうな。でも、それぞれが己の意思で相手を大事にしようとしているのが伝わってきて、見ているとすこしくすぐったい。高校の時の友人関係って、そういえばそんな感じだったような気がする。

会いたいと思っている人がいるけれど、なかなか誘えずにいるうちに、霜月も半ばである。今年はもう会えないのかもしれない。ふたたび増えはじめた感染者数の報道が憂鬱だ。