12月1日(火)自由なき惰性

師走、である。そのせいなのか、ずっと気が立っている気がする。認めてしまうとよけいに荒れそうだから、直視しないようにしている。何が、とかじゃないけど、うまくいかない。

好きな男との関係があまりよくない。交際は終わりすぎるくらい終わっているのに、行き着く先はどこなのだろうとか考えているのがいけない。とっくに行き着く先なんてない。それに、それならそれで、問題なく生きていけることはもうわかった。私はもともと私を楽しませるのがうまいのだ。文章を書くことも、創作の世界に身を浸すことも、好きなものに愛を注ぐこともできる。だから、考えるまでもないのに、どうしてこんなにぐちゃぐちゃしているのかがわからなくて、腹が立つ。好きでいたいと思っているうちは好きでいようと思っていたけど、それより幸せなこと、いっぱいあるのに。あんなに彼の下で働くのが嬉しかった頃が嘘みたいで、それがいちばん悲しい。交際が終わったことなんかよりも、そのほうがずっと、ずっとつらい。

仕事と好きな男のことを除けばおおむね悪くない生活で、念願叶ってインダストリアルとヘリックスにピアスを開けたし、信頼する人にひさしぶりに会って4時間半くらい喋り倒したり、友人と美味しい韓国料理食べに行ったり、大好きな人のブログ読んで泣いたり、好きなアニメを観て泣いたりしてるし、作ったポトフ美味しかったし、筋トレも再開して腹筋の輪郭が一時期よりは戻ってきたし。最高じゃないか。なのにどうしてこんなに気が立っているんだろう。深く掘り下げたら好きな男を傷つけるのがわかっているので、みっともなく執着してしまう。

このところずっと心酔していたFree! のアニメ3期分をとうとう昨日見終えてしまった。劇場版もまだこれから観るし、来年も新作が公開されるようですごく楽しみだけど、喪失感がひどい。徹頭徹尾ファンタジックな美しさ、現実とはかけ離れた世界で描かれてこそ際立つ自由のあり方というものを、ずっと考えている。オーストラリアに戻った凛が、朝アラームで起床して、イヤホンを身に着けて、朝食を用意して、ランニングがてらプールまで走ってゆく描写が、ずうっと目に焼き付いている。自由が惰性の同義語じゃないことなんか、とっくにわかってるつもりなのに、凛は遠い。自由になりたい。