12月3日(木)イイオンナ

日付はとうに変わって12月4日午前3時、ビールを飲んでいる。すこし眠い。明日(今日)の会議資料も、明日(今日)締め切りの昇進審査の申請資料も手つかずだ。どちらも午前中に片付ける予定なのだから、ほんとうは寝ていないとまずい。わかっているけれど、眠りたくない。身軽になった今の感覚をちゃんと残しておきたい。

昨日は仕事のあと好きな男と食事をして、彼はうちに泊まっていった。交際解消を最初に合意してから5ヶ月が経って、そのあいだに確実に関係は変化したけれど、私はきっぱり断ち切るには弱すぎたし、彼はそれに甘えていた。弱い私のほうもいけないのは承知で、それでも私の弱さにかこつけて関係を継続させようとするのが、まるで付け込まれているようで不信が募って、もう一度別れ話をしたのが9月。この時点で恋愛としてはじゅうぶんに破綻していたと思う。相手を信頼できなくなったら、ふたりの未来はない。それでやっと終わりにできたと思ったのに、10月に入って彼のほうが仕事で追い込まれて、みるみるうちに憔悴していく様に、私が動揺してしまったのがいけなかった。何かしなきゃなんてのが間違いだとわかりきっていて、それでも彼に死なれたら困ると思った。ほんとうに死んでしまうんじゃないかと思ったのだ。そのときにあったのは、今までみたいな恋心ではなくて、弱った子猫を保護したみたいな感覚だったけれど、いっぽうで彼のほうはあいかわらず私の隣にいることを望んでいた。それは違うんだとはっきり言ってしまったら、ただでさえ窮地にある彼をさらに追い込むことになる気がして、絆されてしまった。もうすこし向こうの仕事が落ち着いたらちゃんと精算しよう、と思いながら流された。

それはもうすこし先のことになるのかもしれないと思っていたけれど、夜、布団の中で交わした会話で致命的なひびが入った。まあ、ごまかしがきくような状況じゃなかったってことなんだろうと、朝、口論にもならないやりとりを終えて、不機嫌な顔で出ていく彼の後ろ姿を眺めて思った。きみは全然歩み寄ってくれない、と不満を告げられたけれど、私は私で彼に対する不信感を拭いきれていないし、それがあるかぎり歩み寄る努力なんかしたってなんにもならないと思っているんだから、もうこれは見事に潰えている。だって、その不信感って、私たちが一緒にいないことでしか解消されないのだから。

睡眠は足りていたけれど、どうしても仕事をする気分になれなくて、会議がないのをいいことにもう一度布団に戻った。眠くはなかったから、途中まで観ていた『ハイ☆スピード』の続きを観た。『Free!』の遙、真琴、旭、郁弥、貴澄を中心とした中学時代の話だから、このところ私の心を狂わせている凛は、回想シーンでときおり出てくる程度だ。それでも、終盤10分ほどで少しだけ出てくる、オーストラリアで生活する凛の描写に、それはもう、自分でもおかしいくらいに涙が出てきた。散々泣いてしまったら、英和辞典を観ながら勉強している幼い凛の姿に、ふて寝なんかしていられないなあと思った。それで起きて、朝食を用意して、仕事をはじめた。

昼過ぎ、インスタグラムを眺めていたら、アメリカに住む友人が恋人にプロポーズされたという投稿をしていた。いつだかの夏、一時帰国していた彼と遊んだ時に付き合い始めたという話を聞いて、それからもたびたび惚気を聞かされていたので、嬉しくて久しぶりにメッセージを送った。ここ1年ほどの私の恋愛事情も承知している相手なので、祝福ついでにこっちは全然だめだよ、とこぼしたら、きみはイイオンナなんだから幸せになるよ、と断言されて、なんだかそれではっとしてしまった。いや、そうだよな。そうだよ。簡潔なそのやりとりを何度も読み返していたら、突然、こんなにも腐っていることがばかばかしくなってしまった。私は私を幸せにする権利がある、とはかつて傷つけた相手の言葉である。

夜、好きな男から電話がかかってきた。朝のやりとりが最後になるなら、それもそれで仕方がないかなと思っていたけれど、後味は悪かったので電話には出た。案の定、会話はどこにも発展しなかった。朝と同じような内容を、もうすこし穏やかに繰り返しただけ。解決はしないよと私が言って、そうだねと彼が同意した。自由になりたいと私が言って、彼がわかったと言った。もうこういう電話はしないね、と彼が言って、私がうんと言った。切る瞬間はさすがに名残惜しくて、一瞬すがりつきたいと思ってしまったけど、そうしたいわけでも、引き止める言葉があるわけでもなかったから黙った。次にかかってくるときは、1年半前と同じように仕事の話だ。私は、そしておそらく向こうも、敬語に戻る。なかったことにするのが正解だから、そうする。果たしてイイオンナは、自由になったのである。