3月8日(月)

いろんな思考がひゅんひゅんと飛び交う午前三時前。隣人が帰宅する音がした。思考がうるさいといっても、いつもみたいに塗りつぶされていくような感じではなくて、いきすぎた活性状態という感じ。流れ星みたいにあっというまに消えてしまうけれど、つかまえたしっぽだけでも書き残しておきたい気分になったので、寝るのをあとまわしにした。六時間後には会議がはじまっている。

ひさしぶりに日付が変わってからも仕事をした。ついひと月半ほど前まで、その生活が当たり前だったことが信じられないと思った。気が狂っていたとしか言いようがない。こんなにも人間の尊厳を踏みにじられるような仕打ちを甘んじて受けていたことにぞっとする。人間はけっこうかんたんに飼い馴らされてしまうのだ。でも、それはたしかに体と精神を健全から遠ざけてゆくけれど、疑念を抱かなくてすむほうが楽なのもたしかだ。だから今日はずっと苦しいなあと思っていた。わずらわしい。にくたらしい。私は外向きのベクトルの負の感情を自分の中に抱えておくことが得意ではない(自分を傷つける方向であればいくらでも持っておけるくせに)。だから、仕事という無機物に対してであれ、憎悪をずっと感じ続けるのは消耗する。今また書くのが楽しくてたまらない時期に来ているから、よけいに仕事が足枷だ。書くことを仕事にしたいとは思わない(それは楽しいよりも何倍もつらいことがわかっているから)けれど、やっぱり文章を書いているときの自分がいちばん好きだし、いちばん自由で、ちゃんと生きていると思う。言葉に対して誠実な自分だから好きだ。私が私自身のためにつかう言葉が愛おしい。

言葉についてたくさん考えたい、と思っている。昼休み、薬局に薬をもらいに行きがてら、本屋に寄った。漫画の新刊を買うだけのつもりだったのに、文庫フェアで面陳になっていた『風と雲のことば辞典』と『日本語をみがく小辞典』をつい手に取ってしまった。ちょうど文章が書けるようになった時期にこういうものに出会うと、導かれている、と思う。仕事中、ずっと読みたくてうずうずしていた。楽しみ。文章を書く友人に今度また会う時、持っていこうと思う。このときめきをわかってくれたらうれしい。私は言葉について考える時、ときめいている。

きれいすぎない文章が書きたい、というのは、まとまった文章を書くようになってからずっと私のテーマのひとつだ。どうやったら文章に泥臭さや薄暗さや湿っぽさをいい塩梅で混ぜることができるだろう、と常に考え続けている。そのこたえのひとつは、やはり嘘をつかないことなのだ。自分のなかにあるものを美化しようとした瞬間、そこからは生が消失する。華美さも難解さも、操るだけの技量がなければ空虚だ。見栄を張って誇張したものには、けっきょく後ろめたさや羞恥がともなうから、美しくないものを美しくないままに、自分のつかえる範囲の言葉でできうるかぎり精緻に正確に形容する。選んだ言葉を天秤にかけて、自分を大きく見せようとはしていないか、と問い続けるしかない。こんな愚直な営みの末に生み出された自分の言葉を愛せないわけがない。これはきっと、表現される内容ではなく、表現そのものの美しさみたいなもののほうを、より重んじるということなのだろう。好きな作家として、三島由紀夫沢木耕太郎梶井基次郎を挙げるのもこのあたりに理由がある。実のところ、私は彼らの書いた物語の内容をほとんどおぼえていない。否、誰が書いた文章であっても、だ。語られるものの中身よりも、その人がなぜそれを語るか、どう語るかのほうにずっと興味をひかれる。言葉は世界を切り取る行為で、すなわち言葉の外にとりこぼされるものと、内にすくいあげられるものとの境界は残酷なほど明確だ。だから、言葉をとおしてその人の目に映る世界の輪郭を知るとき、どきどきする。そこには生活があって生命があって存在がある。

ふと思考が逸れて、ナイトメアというバンドをずっと好きなのもそのあたりにあるのかもしれないと思った。がちゃがちゃとした荒っぽいやかましさの中に、はっとするほど純粋に美しい旋律がまじっていてどきりとさせられたりする。十五年近く、幾度も聴いている曲でも新鮮に感じ続けられるのは、彼らのつくる音楽にある平衡感覚が、きっと私の憧れる美しさときたなさの同居の割合に近いからなのかもしれない。

そう、だから、私が他者に対してできる最大の愛の表現は、あなたの綴る言葉が好きです、というものだ。ほんとうに言いたいことなんてそれくらいしかない。そしてたぶん、私が愛を伝えたいと思う人々は、ちゃんとそれをわかってくれるだろうと思う。

あとは、そうだな。十年前のことを思い出す頻度が増えている。そのつもりでなくとも目に入ってくる。この時期になると見かけるようになる、テレビの「このあと津波の映像が流れます」というテロップが今でも痛くてたまらない。そういう注意書きをしなくちゃならないほどに傷を負った人たちがたくさんいることを、そのテロップが出るたびに考える。私が泣くべきじゃない、と思っても、やっぱりそれで泣いてしまう。これを書く合間に、あの日ヘリコプターで空から津波の様子を撮っていたカメラマンたちの記事を読んで、今は泣きつかれてすこし放心している。テロップのあとに続く映像を、見なくても思い出せるのは、私だけじゃない。神は信じないけれど、この祈りがどこかに届いたらいい、と思った。あの災害について語る言葉として何がふさわしいのか、探し続けるしかないんだろう。実在する痛みを消費するほど浅はかではいたくない。

もっとたくさん書きたいことがあったような気がするのに、書いているうちにあたまの中の星たちはおとなしくなってしまった。五時になろうとしている。さすがに、そろそろ眠らないといけない。