3月11日(木)

ずっと気持ちがざらざらしていて、口から出ていく言葉がぜんぶ、わずかに誰かを傷つけたいという攻撃的な意図をもってしまう。そういうふうにしたいんじゃないのに、なんだか刺々しくて、自分の望まない言葉しか発することができないことに落ち込む。黙っていられればいいんだけど、そうすると今度はその棘が自分の内側で暴れまわりそうで苦しくてつい吐きだしてしまう。それで後悔するんだから馬鹿みたいだ。

鼻炎の薬を切らしたのも最悪だった。耐えきれずに昼休みに薬を買いに行って、夕方になってようやく効きはじめるまではもう思考も何もあったものではなかった。仕事はひたすら飛んでくるメールを打ち返せばいいだけの日だったから良かったけど(それ以外にももちろんあったけど諦めた)、それでも何度か返信の内容を間違えた。

文章を書くことを考えても落ち込むし、仕事は嫌いだし、自分も好きになれなくて、最悪だなあってくさくさしてたところからすこしひっぱりあげてくれたのは好きだった女の子からの連絡だった。ちょうどそのとき新しいメッセージが来たわけでもなんでもなくて、数時間前に送られてきたものをなんとなく読み返して、自分の口元がふっとゆるんでいることに気がついた。ほんとうに他愛のない話だ。花粉がつらいとか、推しの話とか。彼女とやりとりしているとき、自分がほぐれている気がする。彼女はユーモラスでかわいくて楽しくて最高な人で、そしてとても優しい人だ。私は彼女の言葉に痛みをおぼえたことがない。この七面倒な性格の私が、だ。軽快な言葉のうらに、丁寧な気遣いをはりめぐらせているのだろうな、と思う。それにたくさん甘えている自覚もある。それにひきかえ、自分が彼女のことを知らないうちに傷つけていそうで怖い。恋愛というには穏やかになりすぎたけれど、やっぱり大好きだし、大事にしたいと思う。

夜はナイトメアのツアーファイナルを見ていた。今日がライブだというのは知っていたけど、配信もあることに気がついたのは終演してからだったから、数時間遅れで追いかけて見た。3月11日という日は、東北にルーツを持つ彼らにはけっして過去にできない日だ。今日ライブができてよかった、と何度も口にしたYOMIくんの眼差しがまっすぐで胸を打たれた。

彼らを好きになったのは中学生のときだったから、彼らの音楽を聴くときはかならずその頃の記憶がついてまわる。親はまだ厳しかった。暗くなる前に帰宅することというのが門限だったから当然ライブなんか行かせてもらえなかったし、こっそり自分で開けたピアスは、数日も経たないうちに病院に連れて行かれて外されて、すぐに塞がってしまった。それから、気づけば十三、四年が経って、今の私はインダストリアルにピアスを開け、インナーカラーにピンクを入れ、好きな時にライブに行けるようになった。初めてのナイトメアのライブを、門限のために泣きながら途中で抜け出した十四歳の私よ、大人になるのはいいぞ。

良いライブだった。とても良いライブだった。

一週間前の仙台のライブは柩さんの誕生日当日で、咲人さんがそこで「いろんな現場でギターを弾いてきたけれど、あなたと弾くギターがすごく楽しい」と言っていた、という記事を読んだ。VERMILLION.のふたりのギターユニゾンのときにその言葉が頭に浮かんで胸がいっぱいになってしまった。ふたりの旋律が重なる時の美しさはいつだって心が溶けてゆく気がする。

RUKAさんはYOMIくんのトークがツボに入ってけらけら楽しそうに笑っていたし、柩さんは口調も会場を見渡す眼差しも(あんな怖いカラコン入れてるのに)あいかわらずやさしいし、Ni~yaさんはもうほんとうにかっこよくて心臓が苦しいし、YOMIくんもすっごくすっごく楽しそうで、あと瞳にたたえられた光がすごく力強くて、咲人さんのギターはやっぱり今日も大好きだった。みんな楽しそうで嬉しかった。この人たちを見ていると、二十年続けても飽きずに楽しめるものがあるんだなということを教えてもらえる。それを考えるとなんだか元気が出る気がする。

友人と共通の目標を立てる企みについて話して、ちょっとしぼんでいた書く意欲もすこし戻った気がする。昼間あんなに腐っていたのが嘘のように、今は好きな人たちのことを好きで良かったなあと思っている。明日を乗り切れば週末だ。