3月25日(木)

気持ちがずっとざわざわしている。仕事がまたじわじわと生活に食い込んできているのと、何も書けないままイベントが迫ってきていることのせいだ。金を稼ぐためにすぎない行為に向上心とか求められることにも参っているんだけど、今はどちらかというと書けないことが思った以上にこたえている。書きたいシーンは断片的に浮かんでくるのに、その前後の物語がさっぱり見えてこない。輪郭が定まらない。霧の中にいるみたいで、怖い。書きたいことが見えてこないというのは、つまり自分の中にある言葉と、感情と、向き合うことができていないということで、その足元の覚束なさに心臓が嫌な逸り方をしている。書きたいのに。書きたいのに、その衝動だけが内側で暴れまわってずたずたになる。ああ、絵が描けたらな、と考えてすぐに嫌になる。だってほんとうに絵が描きたいわけじゃない。私は、文章が、書きたい。望んでもいないことを願ってしまうのは不誠実。一行目さえ書き出せればあとは勝手に頭の中で場面が進んでいくような行き当たりばったりの書き方しかしてこなかったけれど、たぶんそれにわりと限界が来てるんだろうなという気がする。というか、場面を展開させるだけの思考リソースがない感じ。そしてそれは仕事のせい。かといって、プロットをきちんと組み立てるみたいなことをやったこともないので、やろうとしてもできない。

数カ月ぶりの出張だった。新幹線の車窓にちらちらと桜が流れてゆく。春らしくくすんだ晴れ。髪の毛のピンクはあいかわらず鮮やかだし、インダストリアルのピアスもまだ外すとすぐに穴がふさがるから外せない。これで客先で会議するのはなかなか度胸のいることだけど、仕方ないのでそのまま行った。多少目立たないようにするくらいの分別はある。外見で仕事してるわけではないのだからそんなの心底ばかばかしいと思うけれど、それがスタンダードの世界だと知っていながら傍若無人にふるまって自分の評判を落とすことはもっとばかばしいからだ。まずもって黒髪のほうが礼儀正しいとかって高校の地毛証明とかとおんなじで差別的な価値観だと思うし、ド金髪で働くことの何がいけないのか全然わからないしわかりたくもないけど、そういうものに唾吐きながらも適当なバランス感覚でやっていける自分のことはそう嫌いじゃない。これもまたくだらない優越感ではあるけれど。まあ、すこしくらいの奇抜さに目をつむってもらえるくらいには評価されているだろうという自負もある。

といっても、今日の会議はあんまり自分では満足がいかなかった。ファシリテーションが下手になっていた。せっかく久しぶりに対面で会議できたのに、そのメリットを有効に使えなかったような気がする。時間配分もぐだぐだだった。

なんだか、一度休職に近い状態になってからつくづく自分が替えの効く存在であることを思い知らされて(まあその替えは上司とか同僚が命を削って担ってくれてるとはいえ)、ああこれ私がやらなくてもなんとかなっちゃうんだ、って思ってしまったのがずっと気持ちを削いでいる。会議中もぜんぶが自分と関係のない遠い出来事に思えてぜんぜん集中できなくて、そうすべき場面でそうできないことに焦っていたりした。仕事は好きじゃなくてもいいけど、無責任な人間になりたいわけじゃないのにね。