7月22日(木)暮れなずむ海

元恋人と出かけるのは楽しい。楽しいのだが、出かけているときの空気が好きなので、それをあとから書き留めておこうとすると、かならずとりこぼしてしまう。交際していたころからずっとそうで、どんな言葉をあてはめても正解に思えない。私が今まで生きてきた中でいちばん楽しかったデートのひとつが、元恋人と交際する前に行った上野動物園であることはずっと言っているけれど、あれだって何が楽しかったのか、いまだによくわかっていない。

ともあれ、元恋人とは昼過ぎに待ち合わせて、一緒に『アラジン』を観た。もともと大事な友人と約束していたのだけれど、あいにく都合がつかなくなってしまって、元恋人が行きたがっていたことを思い出して誘ったのだ。二階席のど真ん中。俯瞰できる位置は初めてで、これまで見えてこなかった舞台装置の動きがわかっておもしろかった。元恋人はいたく気に入ったようで、「良いもん観たなあ」と何度も言っていた。好きだと思う相手に自分の愛するものを気に入ってもらえるのは嬉しいことだ。

それから新橋駅前の釣具屋に行った。ニュー新橋ビルという、およそ新しさの感じられない昭和然とした建物の二階に、その店はある。薄暗い階段を上がるとマッサージ屋が立ち並んでいて、やる気のなさそうな店員が携帯をいじりながら「マッサージどうですか」と声をかけてきた。18歳未満立入禁止、と派手な暖簾を掲げたアダルトビデオの店の裏にある釣具屋で、元恋人の友人と落ち合う。交際していた頃の元恋人のルームメイトで、顔見知りではあるけれど会うのは五年ぶりくらい。釣具屋という場所に足を踏み入れたのは初めてで、見たことのない世界に浮かれて、広くはない店内をこどものように探検してまわった。

釣りというものをやったのは三度目である。一度目は高校の修学旅行で、沖縄に行ったとき。いくつかのコースから選択できるレクリエーションの日というのがあって、海釣りをやった。これが食べられるのか、と不安になるような虹色の魚が連れたことをよくおぼえている。二度目は元恋人と交際していた五年前、元恋人と同じ大学寮に住んでいた男たちと一緒に千葉の方にキャンプに行ったとき。雨粒の混じる潮風のあたる午前二時の防波堤のうえ、黒と見まごうような深い紺色の海の記憶をときおりよびおこしている。

だんだんと日が暮れてゆき、空の色が移ろってゆくのを、ただ釣り糸を垂らしながらずっと眺めていた。けっきょく五時間ほどいただろうか。元恋人も友人も口数の多い方ではないから、ほとんど言葉を交わすことはしていない。二時間ほど経ったところで私が一匹釣り上げて、この日の釣果はそれだけだった(もう一匹かかったのだが、釣り上げる前に逃げられてしまった)。ビギナーズラックというやつである。ぐったりと疲れて、帰宅してから泥のように眠った。