2021/9/1

生きていることにまったく色彩を感じなくなってしばらく経つ。こと、好きな俳優の出演する演目の公演期間が終わってからはひどい。気持ちが不気味なほど凪いだままで、何も味がしない。ぜんぶ終わりにしたいけれど、死にたいのとはちょっと違う。機械みたいに一度電源を落とせたらいいのに、と思う。仕事を終えるとき、それまで使っていたアプリケーションをひとつずつ落として、画面がまっさらになった状態でシャットダウンするのが好き。あの仕組みが自分の体にも搭載できたらいいのに。生活が破綻している、という感じはない。ただ、自分の欲望が何ひとつ見えなくて、惰性で体が勝手に動いていく。

インターネットで知り合った人たちに返事をしないままひと月近く(もっとかも)経とうとしている。蔑ろにしたいつもりはないのだけど、そういうふうに見えるんだろうなと思う。そういうふうに見えるんだろうなと思うから、もういいか、と思ってしまう。悪い癖だし、そろそろ三十になるっていうのに学ばねえなあ、と思う。果たして、早く返事をしなきゃ、って義務感で言葉を引きずり出すことと、返事をしないことはどちらが誠実でしょうか。人間関係って仕事みたいにこなさなきゃいけないものであってほしくないと思うのだけど、これはただのわがままなんでしょうか。そうなんだろうな。自分は誰かと親密な関係を築くに値しない存在だという感覚は日に日に強くなる。恋人とかパートナーとか、ほしいんだったっけ?ほしいと思わされているだけではなく?欲望と強迫観念を混同しちゃいけない。みんな、当たり前のように他者と親密な関係を築いていてすごいな。そんなたいそうなこと、もうできる気がしないや。けっきょく、友人とルームシェアしようという計画も私から反故にして、勝手に引っ越しを決めた。

そんな調子だから仕事も何も面白くない。上司とキャリアカンバセーションというのをやらなくちゃならなくて、気心知れてる相手なのもあって、資本主義に加担したくなくて自分のダブルスタンダードがつらくて辞めたいって話をしていたら一時間がすぎて、このさきどんなキャリアを歩みたいかみたいな建設的な話は一瞬たりともできずに終わった。死にたいとはまだ思わないけど、死んだほうが幾分ましだという気持ちは強くなってきている。

それでも仕事があるだけ良いのかもしれなくて、何もしたいことがない、という焦燥感を、仕事をしていればまぎらわすことができる。ここ数日は出勤を強いられていて、そのことには憤りをおぼえているけど、事業所にいたほうがはかどるのは事実。仕事をしているあいだは自分の存在が無価値じゃなくなる。

ミュージカル『RENT』の"Goodbye Love"という曲でロジャーがマークに突きつけるワンフレーズが頭から離れない。仕事に逃げるなんていちばん望んでいなかった生き方だったはずなのに。

"Mark hides in his work from facing your failure, facing your loneliness, facing the fact You live a lie. You're always preaching not to be numb when that's how you thrive. You pretend to create and observe when you really detach from feeling alive"

ロジャーとミミ、コリンズとエンジェル、モーリーンとジョアンヌと、主要なキャラクターたちがそれぞれパートナーとして絆を築くなかで唯一作中最後までひとりのマークの独唱もぐさぐさと刺さって痛い。

Why am I the witness and when I capture it on film? Will it mean that it's the end and I'm alone?

気付けばみんなそれぞれちゃんと人生をやっていて、私だけ傍観者のまま。まあでもそうだよね、と思う。私ぜんぜん人生をちゃんとやろうとしてないもんな。今更やり直すとか、もうたぶんむりだよ、と思っている。元恋人に対してだけは後ろめたさを感じずにいられるのは、あいつもそういう「ちゃんとやる」を諦めている側の人間だからだろう。