2022/1/2

箱根駅伝の2区のなかばで起きる。運動というものにほとんど興味のない私が、唯一積極的に観る競技がこれだ。淡々と走る選手だけを見ていると気づきにくいけれど、景色がびゅんびゅんと飛ぶように後ろに過ぎていって、地図上の点がするすると進んでいって、人間ってからだひとつでこんなに動けるんだなあということに、新鮮なおどろきをおぼえる。

午後、介護施設の祖母に新年の挨拶に。あいかわらず結婚しろとか、良い人はいないのかとか言われる。気になる人ならいるよ。同性だけどね。とは言えないので、「私、理想が高いからなあ」と笑って流す。それでも以前に比べれば、すこし手加減してくれるようになったような気もする。そのまま諦めてくれればいいのだけど。祖母は、感染症が流行して以降の丸二年ほど、施設の外に出ていない。楽しみもなく、読書をする気にもなれず、習っていた華道もやめてしまって、何もしたくないのだと言っていた。同じ施設の友人と、いつまでこんなふうに生きていかないといけないんでしょうね、と話すこともあるという。こうなりたくはないな、と思ってしまって、そのことに悲しくなった。私には、この世界でやりたいことが山ほどある。でも、物理的な体力だけではなくて、欲望を維持するためにも力が必要なのだ。自分がいつまで欲望に突き動かされていられるかわからないというのは怖い。

それにしても、学生時代から10年近く、波はあれど鬱っぽい魔物がつねに傍にいたから、この冬の調子の良さも、一時的な躁状態のもたらすものにすぎないのではないかと怯えている。欲望を両腕いっぱいにたずさえて溌剌としている自分は気味が悪い。自分が自分じゃなくなったみたいで、足元がふわふわして不安だ。抑うつ状態にあることは疾患であり、心の弱さに起因するようなものではない、というように、病気と人格とを分けてあつかわれるようになって久しい。自らを責めるひとがそれでひとりでも減るなら、それは必要なことだ。でも、そういう状態とともにある自分も、やっぱり自分であることにかわりはない。私の場合は病院にちゃんと行ったのが去年のことなので、それ以前についてきちんと診断名が出ているわけではないけれど、それでも健全だったとはとても言いがたい。そういう状態で10年生きてきたなかで、はいもう元気になりました、これが本来の私です、とか今とつぜん言われたとしても、それはなじみのない、私の知らない私だ。これから付き合っていくしかないのだろうけども。

IDOLiSH7の5部が数日前に公開されて、せっかくならと1部から読み返している。どうにか3部の後半までたどりついたところ。まだ道のりは長い。