2022/2/8

先月はむさぼるように本を読んでばかりいたし、文章もするすると書けていたのだが、今月に入ってからすこし鈍っている。仕事がちょっぴりまた忙しくなってきているからか、思考が細切れになっている。

午前中に受け取った斉藤壮馬さんの新しいEPは、仕事そっちのけで開封してパソコンに楽曲を取り込んだものの、きちんと気持ちを落ち着けて向き合いたかったので、夜になるまで聴かないでおいた。仕事を終え、食事と入浴をすませて、あとはもう眠るだけというところまで来て、ようやく再生する心持ちになった。こういう、好きなひとと向き合うために自分の状態をととのえてゆく時間がけっこう好きだ。

発売に先駆けて新曲を放送していた回のラジオは聴き逃し、試聴ダイジェストもいっさい聴かずにこの日を迎えたので、これが正真正銘の初対面だった。少年時代に知ったアルバムを順番に聴くことの楽しさについて、たびたび言及するひとの手がけた作品だからこそ、きちんと頭から聴こうと思った。二曲目を聴き終えたところで、彼の生みだす世界に触れていることが嬉しく、たまらずに息を継ごうと再生を止めたが、そのあとは曲が進むにつれ次第に異世界に迷い込んでいくような感覚に引っ張られて一息に聴きとおした。ウイスキーをストレートでちびちびやりつつ聴いていたが、重ためのアルコールが鼻にぬける感じが気分に合って良かった。暖房の効いた室内ではなく、冷たい夜の空気を肺に満たしながら聴いたら、なおのこと良いだろうと思われた。なんとなく煙草もほしくなったし、全体をとおしてスモーキーな印象のあるEPだと思った。リードトラックという位置付けの『幻日』は、梶井基次郎の『桜の樹の下には』を、『埋み火』は大岡昇平の『野火』を、それぞれ彷彿とさせられた。作り手の織り込んだものをすべて読み解けるわけではないし、音楽を楽しむのにかならずしもそんなことをする必要もないと思ってはいるけれど、それでも大事に聴き込んでいって、また見えてくるものが変わりゆくであろうことが楽しみ。