2022/2/10

九時直前に目を覚ました。カーテンを開けようと布団から腕を伸ばすと、窓辺からひやりと冷気に迎えられた。斑雪である。九時から会議が入っていた気がして布団を出たが、考えてみれば今日は休暇である。それで布団にまた戻って、三十分ほど本を読みながらうつらうつらしていた。二度目に布団を出たのは十時過ぎ。トーストを焼いて遅めの朝食をとり、携帯電話から会議に参加しながら、家を出る支度をする。ほとんど雨に近いみぞれだ。元恋人から数週間ぶりに連絡が入っていた。雪だ!と一言だけ。

休暇の目的は劇団四季のアンドリュー・ロイド・ウェバーコンサート『アンマスクド』の大千秋楽公演だ。昨年にも悪友たちと鑑賞しているが、とても一度では消化しきれない濃密な楽曲とパフォーマンスの数々に圧倒されて、どうしてももう一度観たくなってしまったのだった。一時期はキャストに感染者が出たりもしてどうなることかと思ったけれど、全員そろった舞台で千秋楽を迎えることができてほんとうに良かった。四季の公演は行くたびに好きな俳優が増える。圧巻だったし、すごく楽しかった。

悪友も同じ公演に入っていたので、終演後にカフェで小一時間ほど雑談していた。会うのは、年明けの大学時代の演劇仲間との新年会以来だ。一緒にいるときは十中八九酒が入っているので、なんだか変な感じ。日常の話をしているうちに、これからどうやって生きていくんだろうね、という話になった。悪友は二度目の転職を考えているという。今まで経験していない職種に鞍替えするなら三十までって言うじゃん、ということらしい。ずっと食っていくほどの思い入れもない今の職種をずっと続けていくのかと考えると、漠然とした不安がある。かといって、それなりに獲得してきた経験値を捨ててまで、ほかにやりたいことがあるわけでもない。そういう迷いのはざまにいるんだよね、と彼女は笑って、私もそれに同意した。もし子どもを持つなら、キャリアの道はさらにかぎられる。子ども、ほしいんだっけ?と問うと、ここ一、二年でほしくなってきたんだよねとかえってきた。その感覚はすこしわかる。自分が親になるに値する人間かどうかという観点を脇に置けば、子どもがいたらどうだっただろう、と空想することは以前より増えている。大学を卒業して会社づとめ、という既定路線に惰性でのっかった二十八歳なんて頭打ちだ、残されたのはせいぜい漸進的前進のみ。その点、子どもという存在は魅力的だ。可能性のかたまりみたいな生き物のもたらすきらめきを、その中毒性を、私はよく知っている。そういえば親からの期待が重いと感じなくなってきたのは、家を出て物理的な距離が開いたということにくわえて、私が成熟して、親のほうの期待値が落ち着いてきたことにもあるのかもしれない。子どもでいたかったと思うよりも、おとなになってよかったと思うことのほうがずっと多い。私はおとなでいることが楽しい。それでも、友人らとこういう話になるたびに思う。おとなになるということは、選択肢が減っていくことでもあるのだ。すこしずつ、すこしずつ、できることの枠を食いつぶして、残りを生きていかなければならなくなった私たち。じゃあどう生きるの?という自らの問いに、まだ返すこたえは持たない。