記録:2022-June

ちょっと詰め込みすぎた。どう考えても過食状態だったし、きちんと味わえているのかも怪しい。でも、今の自分が出会うべくして出会う作品ばかりだったような気がする。ノートルダムの鐘と、陳情令と、美しい彼が今月のハイライト。来月はもうすこし落ち着いて、ゆっくり消化したい。

墨香銅臭『魔道祖師』1~4巻

アニメを観ているうちに、続きが気になって居ても立ってもいられなくなって、間髪を入れず原作に手を出した。アニメではあまり見えてこなかった無羨の心理描写が綿密で、あれよあれよという間に引きずり込まれて、ほとんど徹夜して三日ほどで読み切った。展開にとにかく情け容赦がない。終盤などは泣きすぎて脱水気味になって、翌朝ひどい頭痛にさいなまれることになった。本編の鬱屈を振り払うかのように、番外編のほうは藍湛と無羨の胸焼けするほどの甘ったるい睦まじさを見せつけられるものだったけれど、そうでもなければバランスがとれない。アニメと実写では明確に描かれないふたりの恋愛と情欲を堪能できるのは原作だけの良さ。

アガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』

好きなジャンル、そうではないジャンルというのがはっきりあるわけではないが、ミステリーはとりわけ手が伸びにくいジャンルだ。アガサ・クリスティもこれが初読。謎がするすると解けてゆく快感は理解できないでもないけれど、ページをめくる手を途中で止めて自分でその謎を解いてみたいという気持ちにはあまり共感できないので、ふうん、と思いながら読んでいるうちに終わってしまった。たぶん、性格的にあまり向いていないのだろう。

恩田陸『夜の底は柔らかな幻』下巻、『終わりなき夜に生れつく』

下巻は最後に伏線の回収や設定の説明が入るのかと思っていたが、それがないまま唐突に終わったので、若干の後味の悪さが残った。ほかの人のレビューを読んでいても、似たような感想をもっている人は多い。インスパイアされたという映画『地獄の黙示録』を観たらもうすこし印象が変わるのだろうか。引力はあっただけに、その世界に突然放り出されたような感じ。本編の前日譚である短編集『終わりなき…』を読んで、ようやくすこし世界観が補完された。

茅田砂胡『デルフィニア戦記第I部 放浪の戦士 1』

軽やかなファンタジーが読みたい!と思って図書館の書架を物色しているうちに目に止まったものだったのだが、あとからシリーズが全18巻から成ると知って苦笑いした。でも読み口は軽くて楽しかった。忘れないうちに続きも読みたい。

奥泉光『シューマンの指』

たしか好きな声優が読んでいた作品。背表紙のあらすじからミステリーを期待して読むとたぶん期待外れだろうけど、門外漢なりに濃密な音楽解釈は読むのがすごく気持ちよかった。

平山夢明『デブを捨てに』

タイトルの時点で最悪の匂いが漂っているし、この人の作風からしてもカタルシスを得られるようなものではないのはわかりきっているので、読む決心がつくまでにだいぶかかった(けっきょく、映画館で隣の客のマナーが悪くて気持ちがささくれていたときにやけくそになって読んだ)。案の定胸糞の悪くなるような作品ばかりで、でもその淀んで濁った澱の中に仄かなきらめきが見えるみたいなずるさがある。食事時に読むものではないし、過敏になっているときに読むのもぜんぜんおすすめできない。あらゆる方面で最悪だけど、この作品においてはたぶんそれが褒め言葉になってしまう。収録作の『顔が不自由で素敵な売女』、Triple Hの365 FRESHという曲のMVをなんとなく思い出していた。

アニメ・ドラマ

魔道祖師/陳情令

アニメ2期23話を3日で、原作小説4巻を3日で、そこから実写版の陳情令50話を2週間弱で完走するという、かなり無茶な詰め込み方をした。陳情令は1話45分、総視聴時間は37時間超。文字通り、仕事と睡眠以外のほとんどの時間をこの作品に費やすような生活だった。劇薬に曝され続けて、毎晩瀕死になりながら眠りについていた。善悪の境界の不確かさ、それを区別できると思い込んで他者を断罪する人間の危うさについての作品。アニメでは茶目っ気が強くてあまり見えてこなかった無羨の苦悩やぐちゃぐちゃした負の感情が、実写のほうではちゃんと顔に出ていて、無羨という人間の輪郭が際立っていた。無羨を演じた肖戦という俳優は、目鼻立ちのはっきりした顔立ちが闊達な無羨にぴったりで、演技も圧巻で、惹かれずにはいられなかった。表情の乏しい藍湛も相当に難しい役なのに、わずかな目線や口元の動きだけで彼の感情を描ききる王一博の力量にも驚かされてばかりいた。ほかのキャラクターもイメージどおりのキャスティングだったし、衣装やセットも美しいし、実写の威力をこれでもかと浴びることのできる作品。原作にある同性愛描写こそなくなっているし、設定もやや改変されているものの、藍湛の無羨に対する執着はかなり率直に表現されていて、制作陣ができるかぎり原作を尊重しようとしたのだろうというのを感じた。長過ぎて人に薦めるのにためらうのが悲しいけれど、私の好きな人たちには観てほしい……。

私はずっと言葉の力を信じてきたし、だから書き続けてきた。なのに、このところ、言葉とのあいだに築いたはずの信頼関係が、砂のように崩れ落ちていくような怖さを持て余していた。でも、言葉すくなに無羨に寄り添い続ける藍湛を見ていて、私は言葉に頼りすぎていたのかもしれないとふと思った。誠実さでありたいと思ってきたけれど、誠実であることはかならずしも言葉を尽くすことではない。ぐらぐらに揺さぶられた。私は、知己と信じた相手を失って、強くなるしかなくて、強面を崩すことを自分にゆるしてやることもできなくて、自分の苦しさに蓋をする人のことしか、江澄のような人のことしかわからなくなってしまった。「おまえが温氏のやつらを守ろうとしたら、俺がおまえを守れなくなる!」という渾身の言葉をぶつけて、無羨にあっさり「守らなくていい」って即答されたときの江澄のことをずっと引きずっている。どうすればよかったのだろう、とどれだけ考えても、きっと同じところに行き着くであろう彼の哀しさを、どうしたって自分になぞらえてしまう。私の敵は己の中に巣食うウィークネスフォビアだ、と怒りに顔を歪める江澄を自分に重ねて思っていた。藍湛のような生き方を、今からでもできるものだろうか。誠実さとはなにか、考えてきたつもりだったけど、やり直しだ。

美しい彼

『美しい彼』鑑賞後記 - 地上のまなざし

 

映画

バケモノの子

劇団四季の舞台を観てから原作が気になって観た。伝統的な家族のあり方を懐疑するというテーマは好きだけど、それ以上でも以下でもないかなあ、という感じ。この場面が舞台だとあんなふうに演出されるのか!というのを思い返して楽しくなっていた。メルヴィルの『白鯨』、好きな声優がときどき言及しているので、近いうちに読む。

犬王

すっごく楽しみにしながら見に行ったのに、隣のカップルが前傾姿勢で見るものだから視界に入るわ、鞄の中のビニール袋を何度かごそごそするわ、挙げ句の果てに喋るわ、携帯は見るわで、散々だった。とにかく運が悪かったとしか言いようがないのだけど、悔しくてたまらない。できることなら記憶を消して、もういちどまっさらな状態で浴びたい。それでも、友有が犬王と初めて邂逅したときの琵琶の音色に、ぶわりと毛穴が開くような気持ちよさが走ったことを鮮烈に覚えている。「自分の名は、自分で決める」という力強い言葉をきいて、自分がインターネットでつかっている名前のことを考えていた。現実での愛称をもじっただけのものだし、本名を気に入っていないわけでもないのだが、その「偽物」の名前で綴ってきた言葉のほうがずっと多い。それはつまり、その名前を名乗るときの自分のほうが自分でいられているということで、だから愛着はすごくある。私をその偽物の名前で呼ぶ人たちのことも好きだし、その名で呼ばれるとき、私を認めてくれているように感じる。自らの名前を決めるというのは、そういう強さを持つものだ、というのを犬王と友有にあらためて教えてもらったような気がして感慨深くなっていた。その人自身がありたい姿で存在していいということ、しているということ。アヴちゃんの歌声をしっかり聴いたのは初めてだったけれど、その自在さに圧倒された。もう一度集中して味わいたいので、来週にでも雪辱を果たしにゆこうと思う。

舞台・ライブ

6/4・6/18 劇団四季『ノートルダムの鐘』

五月に観た『千と千尋の神隠し』は、いかに映画版の世界をそのまま舞台に持ってくるかに主軸を置いた演出になっていたけど、やっぱり舞台でしかできない演出というものを観たくて舞台に行くんだよな、というのを、この作品を観てつくづく感じた。演出が、とにかく、良い。

6/4の感想

劇団四季『ノートルダムの鐘』鑑賞後記 - 地上のまなざし

6/18の感想

カジモドは寺元さん、フィーバスが神永さん、エスメラルダが岡村さんで初回と同じ顔ぶれ。フロローはディズニーアニメ版でフロローの歌声をあてている村さん、クロパンは高橋さん。違うキャストでも観たい気持ちはあるのだが、同じキャストも演技の違いを楽しめるので、それも一興。神永フィーバス、デビュー日だった前回と比べると、熱のこもり方が全然違った!警備隊長をクビになるときの「大変光栄です!」に矜持が滲んでいてすごく良かったのと、フィナーレでのパリの街の人々への呼びかけに胸が震えて仕方がなかった。フィーバスの生き方がAllyってことかな、と思う。岡村エスメラルダはあいかわらず燦然と美しく光をまとっていて、視線を奪われっぱなしだった。「財産を  名声を 栄光を」と神に望む人々の中で「私なら大丈夫  でも不幸な人はたくさんいる  神よ、救いを弱き者に」と他者のために祈るエスメラルダが誰よりも清らかな信仰を持っていることの皮肉さが痛くて、泣きすぎてどうにかなりそうだった。祈りとはかくあるべきだし、私もそういうふうに祈れる人間でありたい。どことなくカジモドに対する愛着が垣間見えた野中フロローと違って、村フロローはどこまでも厳格で、かなり怖かった。それだけにこじらせてる感じが際立っていてかなりいたたまれなくて、ほんとうに素晴らしい演技だった。『地獄の炎』はことのほか圧巻だった。鋼のように冷たい静けさ、厚く塗りかためていたはずの理性がぼろぼろと錆びて剥がれ落ちて、その合間から漏れ出てくる欲の炎がめらめらと燃え上がる様の凄まじさ。もう一度あの恐怖を浴びたい……。高橋クロパンは陽気でしたたかで、私の観たかったクロパンだった。ワイスさんのクロパンより若かった  でも「今度こそあと何年かは暮らせると思ったのに」の哀愁はワイスさんのほうが重かったかも。あと二回しか見られない……。

6/11 劇団四季『バケモノの子』

原作のことをなにひとつ知らずに観に行って、細田作品、すこし食わず嫌いだったのかもしれないと反省した。想像以上によかった。いろんな解釈ができる作品だと思う。いわゆる無敵の人への祈りでもあるし、ミックスルーツの人にも響くものがあるんじゃないだろうか。九太の子育てを、近所のバケモノたちと一緒にやってゆくにぎやかな場面が好きだったのだが、このあと映画のほうも観て、そこはミュージカルのオリジナルの演出だったと知った。シャボン玉をつかった演出がすごくきれいだった。この日猪王山を演じていた芝さんは、『ノートルダムの鐘』のサントラで散々歌声を聴いていたこともあって、フロローがだぶって見える場面があって愉快だった(一緒に観た悪友も同じことを言っていた)。2月のアンドリュー・ロイド・ウェバーコンサート『アンマスクド』で惚れ込んだ笠松さんは、まわりからの期待を一心に受ける立場でありながら、本人は劣等感をこじらせてゆくという、私の好きな役どころで最高だった。楽曲にすこし物足りなさがあって、二度目を観たい気持ちはそこまで強くないのだけど、オペラグラスを忘れたせいで笠松さんの表情の演技を堪能しきれなかったという悔しさはある。

6/23 NIGHTMARE Ni~ya Birthday Live

メアの現場はこれで三度目。だいぶ慣れてきたし、振り付けもわかってきてどんどん楽しくなっている。主役であるNi~yaさんが選んだセトリは、すごく彼らしいと思った。Яaven Loud Speeeakerがセトリに入っていたのがあまりに嬉しくて、泣きそうになった。あとM-ariaも聴けてうれしかった!釣り好きのNi~yaさんのために、誕生日ケーキ代わりに丸のままの鯛が贈られたのはおもしろかったし、柩さんが「バンド23年目にして、ステージで初めて嗅ぐ匂いがする」って言っていて大笑いした。MCが毎度ほんとうに中学生とか高校生みたいなくだらなさなのだけど、この人たちを見ていると年を重ねるってめちゃくちゃかっこいいことなんだなあと思う。すごく希望。MCでも毎回おじいちゃんになったときの話ばかりしていて、この人たちの未来には、当然のことのようにお互いがいるんだなあと、いつだって新鮮に感動する。それってすごいことだ。楽しかった。

6/25 ミュージカル『タイヨウのうた』(配信)

私の愛するボーカリスト、ジノが出演するミュージカル。現地に行けないなら仕方がないなとモチベーションは高くなかったのだが、あきらめきれずに千秋楽直前で配信チケットを購入した。2019年の年末に見に行った『女神様が見ている』以来、2年半ぶりだ。今回はとうとう主役!YUIと塚本高史が主演の日本映画が元になった作品。サーフィンを愛するシャイな少年、というのがジノの役どころだったけれど、サーフボードはあんまり似合っていなくて、ちょっと笑ってしまってごめん。でも、これが私の好きになった歌手だ!と世界に叫びたくなるような歌声は健在で、嬉しくてたまらなかった。好きになったころからずっと言っているが、今でもこの人の歌声のことが世界一好きだ。

もともとジノ目当てで観ているひいき目もあろうが、ほかはあまり印象に残るところがなくて、ミュージカル鑑賞という意味ではものすごく楽しめたとは言いがたいかも。配信のせいか、音響のせいか、アンサンブルキャストはけっこう音程が怪しく感じられたのと、脚本もすこし性急に感じてしまった。楽曲にも物足りなさがあった。ただ、歌詞は詩的で美しくてすごくよかった!台詞は字幕なしでも大筋は理解できるが、歌詞となるとどうしても音に意識が向いてしまって意味を聴きとる余裕がないので、それを字幕で補完できたのは配信ならではの良さかもしれない。「昨日の悲しみは月にまかせて新しい朝をはじめよう」というところ(すこしうろ覚えだが)が好きだった。他方、配信だと舞台の使い方や美術はあまり見えなくて残念だった。

ミュージカル初出演の『オール・シュック・アップ』から『アイアン・マスク』、それに『女神様が見ている』まで観てきたけれど、四作目となる今回、歌手とは違って演技も要求されるミュージカル俳優としてのふるまいが円熟したように感じてぐっと来てしまった。でも、私はやっぱり役になりきっているジノではなくて、ジノ本人の歌への愛がにじみ出るような姿が好きなので、演技力の上達にさみしさをおぼえたのも事実。ほかの誰でもない、チョ・ジノという人の歌う姿を見ていたいのだ。

6/26 SEVENTEEN "BE THE SUN"(配信)

二年半ぶりの有観客コンサート。歓声を上げることも制限がないようで、観客のほとんどがマスク姿であることを除けば、まるで平常の世界に戻ったみたいだった。セブンティーンのコンサートはほんとうに楽しい。好きになってから五年が経つけれど、そのあいだすこしも変わらずに愛せていたとはとても言えない。それでも、セブンティーンの音楽を聴くたび、彼らのステージを観るたび、私の帰ってくる場所はここだと思う。あの業界の苛烈さを知っていながら、彼らが私を救ってくれることを無邪気にありがたがるのはどうしたって欺瞞だし、彼らの苦しみを美談にしたがるのは暴力だ。それでも、それでも……なんだろうな。彼らがあそこに立つことを選んでいるということを軽んじたくない。私にとってのアイドルは、あとにも先にもこの人たちだけだし、どんな形であれ、好きでい続けたいと本心から思う。すっごく楽しかった。願わくは、今度は同じ熱量を共有できる空間に行きたい。

ジュンくんのこと、ほんとうに大好きで大事だ。私はよく彼を月のようだと形容するのだけど、それでいて太陽でもある。私の光となる人、遠い甘やかな優しさで私に幸せをもたらす人。月、太陽、きらめき、気高さ、まぶしさ、この世の美しさをすべてつぎ込んだ尊い人。ジュンくんを好きでいると、自分もきれいでいられる気がする。

6/29 NIGHTMARE 咲人 Birthday Live

あとで書きます!