平成を観る

仕事始め。わりと穏やかにはじまる。和食続きだったのでいいかげん洋のものが食べたい!という私の希望で、昼は同僚とイタリア料理の店に行った。トマトベースのパスタは美味しかった。

帰宅してからは、日中同僚との会話に出てきた『池袋ウエストゲートパーク』を観た。今の価値観で引っかかるところを挙げたらきりはないのだが、「平成」を映像として見たことってほとんどなかったので、すっごくおもしろかった。放映された2000年はまだアメリカにいたが、2002年に帰国してからも中学に上がるまで家にはテレビがなかったので、平成を視覚的に経験していないのだ。街を行き交う人から流行を読みとるなどという芸当ができたはずもなく、クラスメイトに教えてもらってなんとなく知るくらいだった。だから私がもっている平成らしさの概念のほとんどは、あとになって知識として知ったものだ。それがドラマの中では現在のトレンドとして、生きたかたちで存在する。そのことが新鮮だった。ドラマってこういう楽しみ方もあるんだなあ。

そのあとは、アイナナを10章の途中まで読んだ。新ブラホワをひかえ、自分たちがトップアイドルだと宣言するIDOLiSH7に、東京ドームで次の夢を持ち続けていかなきゃいけないと思うから国民的アイドルになるのだと力強く語っていた佐藤勝利さんの姿が重なって胸がいっぱいになっていた。

あいかわらず忘れたくない言葉の洪水のような物語だけど、特に好きだったのがここ。

七瀬陸『ファンのみんなの声を聞いて、眩しいライトの下で歌ってると、入道雲になれるような気がするんだ。』
和泉三月『ああ、わかる!みんなのこと見上げてんのに、すげえ、でかい体になった気分!こう、客席に手を伸ばして、全員、抱きしめられる気がすんの!』

(第6部10章3話)

IDOLiSH7はフィクション(彼らはフィクションと現実の境界線上にいる存在だと思うので、この言葉はちょっと違和感があるけど)なんだけど、三次元のアイドルを好きでいて、アイドルのかがやきをコンサート会場で見つめていて「抱きしめられている」と感じたことは実際に何度もあるので、この三月の言葉にはびっくりしたし嬉しかった。

 

年末にきれいにしたはずの台所は、連日の料理三昧で見る影もない。たまっていた洗い物だけどうにか片付けたので、週末にまた掃除する。きれいな台所、気持ちよかったから、あの状態に戻したい。