SEVENTEEN 10th Mini Album "FML"

仕事を終えて、すべてのアプリケーションを終了させてパソコンの電源を落とす。本やら菓子の包装やら書類やらが散らかった机のうえを片付けて、椅子に深々と座り直して、髪の毛を結び直して、深呼吸をして、よし聴くぞ、と腹に力を込めた。愛するものに対峙することは、いつだって覚悟を必要とする。    

SEVENTEEN 10th Mini Album "FML" ようやく聴いた。どうしても気持ちを残さずにはいられなかった2曲について。

F*ck My Life

ずいぶん、遠いところに行ってしまった。そう、まぶしく見上げて、いつしか手を伸ばさなくなった。生きることをやめたくて、疲れきって傷つきながら、光に集う羽虫のように彼らにふらふらと引き寄せられた繊細な私はもういない。彼らのもたらすものすべてを味わって楽しんで慈しんで喜んでいた心のやわらかい部分は、歳を重ねるうちにすっかり固まって、心底つまらない人間になった。彼らはかわらずに輝いているのに、私ばかり変わってしまった。

だけど、もう私なんかが好きでいなくてもいいやって腐った気持ちに身を明け渡そうとするたびに、彼らの方から手を伸ばしてくれる。それが彼らの作る音楽、書く歌詞だ。彼らもまた同じだけの年を重ねているのだと、同じだけの距離を歩いて、私と同じように変化していて、遠ざかったりなんかしていないのだと、そう思わされた曲だった。だって、私の歌だと思った。

このあいだ読んだ三浦綾子『光あるうちに』の感想で、「私は信仰を持ちたいのではなく、知識欲から信仰を持つとはどういう状態であるのかを知りたいにすぎない」と書いたけれど、彼らに対して感じるこの感覚は、たぶんかなり信仰と近いところにあるはずだ。

2018年のコンサートのあとに書いた文章*1だ。

ジョンハンが昨日、最後のコメントで言っていた、「後ろの方の人までひとりひとりと目を合わせたかった」という言葉、それ自体はアイドルの常套句ではあるけど、ああこの人は本気でこれを言っている、と思った。本気で私たちひとりひとりと、CARATという枠組みじゃなく個人として向き合おうとしてくれている、と。

5年経った今も、やっぱり同じように思う。彼らは当然私の名前も、存在も知らない。それでも私のことをまなざそうとしている、見捨てずにいてくれる、そういう確信。この人たちに裏切られることはないと思えるし、この人たちに恥じない己でありたいと思う。神は我々を見てくださる、とキリスト者が言うのによく似ている。

前述の三浦綾子のエッセイを読んだとき、私は、神とは人間が強くいられるための装置なのだと思った。人間本来が持つ強さを引き出し、支えるための装置。神を信じたいとはいまだに思わないし、信仰が状態ではなく意志である以上、私の信仰ははじまらないのだけど、だからこそ、その装置が神でなくてはいけない理由もないと思う。

セブンティーンは人間だし、人間は神ではない。生身の人間を神格化することが褒められたことだとは思わない。でも、人間である彼らが私の信仰の対象たりうること、すなわち人間が他者の希望や力になりうる存在であるということは、なんと心強いことだろう。

무뎌짐이 익숙한 세상에서 이제 나는 나를 찾고 싶어
鈍くなることに慣れた世界で ぼくはぼくを見つけたい

난 나에게 어제 나에게 부끄러운 내일이 되고 싶지 않아
ぼくは自分に、昨日の自分に 恥じる明日にしたくない

どうしてこんなにも、私の抱える鬱屈をぴたりと言い当ててくれるのだろう。それは私がありふれた人間であることにほかならないけれど、そのありきたりさを、彼らが分かち合ってくれることに嬉しさがある。あんなにまぶしく見える彼らも、同じようにもがいているのだと教えてくれるから。

 

I Don't Understand But I Luv You

パフォチ曲。ウジくんの書く詞も好きだけど、ホシくんの詞も、私はすごく好き。タイトルからしてもうだめだったけど、歌詞を見て、もう最初の1行でかっと目の奥が熱くなって、ぼたぼたと泣きながらようやく聴きとおした。大好きだ。言葉にすることがばかばかしく思えるくらい、この人たちが好きだ。

自分が言葉に拘泥しすぎている自覚はある。それだけが他者とのかかわりをつなぐものだと思って、しがみついている。そのくせ、自分の言葉はもうどこにも届かないと諦めきっている。そうして言葉が届かなかったらもう果てしなくひとりなんだと思い込みがちでいる。ばかだな、と彼らはあっさり私をすくい上げる。言葉は、人とつながるための手段のひとつにすぎない。愛はそんなものだけに頼らなくちゃいけないほどやわなものじゃない。この曲がその証だ。

 

タイトル曲のSuperとヒポチ曲のFireは一転、1曲めで見せた寄り添うような優しさは鳴りを潜めて、同じアーティストとは思えないほどの強さ、激しさ。私は結成20年を超えたナイトメアのことを、人間どうしの関係の理想として見上げているのだが、セブンティーンもそうだ。これだけの時間を共に過ごした彼らが、I Luv My Team I Luv My Crew と歌った曲をタイトル曲としてまっすぐに掲げて見せることがうれしい。

Superが雲の上の曲なら、Fireは彼らをそこまで昇らせる炎だ。誇り高く熱く燃え上がる火柱、熱せられた空気に乗って雲の上へ。

ひるがえってDustは、ビターでありながら、これまでの彼らを彷彿とさせる手触りだなと思った。かつて青春アイドルとして名を馳せた彼らが、今つくる恋の歌がこれだということに納得する。彼らは若さゆえの青さだけが取り柄だったんじゃなくて、感情を、弱さと強さをあわせもつ存在としての人間を表現することが、ひたすらに巧いのだなあとしみじみ思う。そのはじまりがたまたま青い年頃だっただけで。

生きることへのもどかしさからはじまったこのアルバムが、雨の曲で締めくくられることに、彼らの優しさをみる気がする。今すぐ止まなくてもいいのだということが、今の私にとってはすごく沁みる。

 

正直、FMLとパフォチ曲にぜんぶ気持ちを持っていかれて、ほかはたぶんうまく味わえていない。でも、やっぱり今も彼らのことが好きだなって思った。それがぜんぶだ。ペンミも楽しみだなあ。