2023/6/23

午後は会議がなく、15分仮眠するつもりが3時間経っていて自己嫌悪に浸る。美容院で髪を切って、買い物して、アイナナのシナリオを読み進めた。6部完走。

かつてのように好きな彼らのためにがんばろうとか、生きる力をもらえたと思うことも減ってきていて、それは自分が誰かを好きでいることにすっかり慣れてしまったからだと思っていた。でもたぶん違う。私が自分のことを彼らに顔向けできる存在だと思えていないからだな、というのを、ここ数日思い出させられている。ムビナナのDay1のMCで、コンサートは帰ってくる場所なんだと、彼らは言っていた。「がんばったな、おかえりって、肩を叩いて言い合おう!」「ここはそういう場所だから」。どこだったか思い出せないんだけど、「彼らに会えたから、私の人生も悪いもんじゃないな」って思わせてくれるのがアイドル、という話もあった気がする。でも今、私がその私の人生の価値を下げている。だから彼らに与えられている光もまっすぐに受け取れない。がんばりたいよ。あのきらめきに値する存在として自分を扱いたい。自分が誇れる生き方をしたい。

仕事がおもしろくないのをどうにかしないといけない!切羽詰まって追い込まれるようなタスクがないだけで、やらないといけないことがまるっきりないわけじゃないのに、今じゃなくていいからという理由でやらずに一日が終わって、それを繰り返して一週間が終わった。先延ばし癖でこのあいだ痛い目を見たくせに、けっきょく何も変われていないじゃん、と思うと落ち込む。会社を辞めるつもりはなかったはずだが、このまま漫然と過ごすくらいなら、環境を変えたほうがマシなんじゃないか、と夢想する時間が明らかに増えている。すくなくとも刺激は得られるだろう。無痛、無刺激、退屈このうえない。忙しいは心を亡くすと書く、とよく言うけど、忙しくないのもけっこう心がゆるやかに死んでいく気がする。せっかくこの職業に意義を見いだせるようになってきたところだったのに、その意義を自分の仕事として持てていないことがもどかしくてたまらない。仕事がしたい。30歳なんて一番働けるときだよね、と新しい上長に言われたのをずっと考えている。体力がまだあって、経験もそれなりについてくる時期。なのにそれを腐らせているだけの自分のこと。

自分の感覚に素直すぎるのかもしれない。たぶん、もっと義務だけで動けるようにならないといけない。「やらなきゃいけない」と「やりたい」が重なったときにしか体が動かないのをどうにかしないと、たぶんこの先どんどん自分のことを肯定できなくなっていく。私は仕事ができる自分でありたい。今その評価から遠のいていることをうっすら感じていて、悔しいけど、もういいかって思っている。でも、よくないんだよな。自分のこと、かっこいいって思っていたい。

私はわりと的確に指摘をできるほうで、相手に伝わるコミュニケーションにはけっこう自信があって、つまり若手育成には向いているし、若手育成を担当したいと希望したから今のポジションにいる。それでも、PDCAの設定の仕方とかえらそうに若手に講釈垂れるばっかりで、ひるがえって自分はPDCAをまわせているのか?って考えてみると情けなくてしょうがない。自分ができていないことを人に教えるってダサすぎる。実践のともなわない知識なんか空虚なだけだ。目標を立ててアクションに落とせ。

仕事もそうだけど、本が全然読めていないのも、自分の感覚を重んじすぎているところがあるんだろう。読みたい気持ちになるのを待っていても時間はどんどん過ぎていくだけだ。強制的にでも文字に触れる時間をつくるほうがいい。頭に入ってくるかどうかはこの際二の次でいい。とにかく読めるという実績を自分に証明してやらないと、どうせ無理だとはなから諦める癖がついてしまう。これの前提条件はツイッターに触れる時間を減らすこと。