2023/7/3

午前中は昨日の舞台の感想を書いていたら終わった。舞台を観るたびに、もっとちゃんと舞台を観たいのにと歯噛みをしている気がする。きっとこういう悔しさからは死ぬまで逃れられないんだろう。欲深い人間だから。その不完全燃焼感を軽減するためには事前の予習が必要、というところまで考えて、他者の言葉を体に取り入れることへのアレルギー反応をどうにかしないといけないなあと思っている。たぶん、最近まったく二次創作が読めないのもそのせい。ひるがえって他人の日記がわりとするする読めるのは、他人の生活が私に干渉してこないタイプの文章だからだな。自分の言葉が独りよがりで誰にも届かないんだって悲観的になりがちなのと、根っこは同じ気がする。他者を受け入れることの拒絶。どうしてこんなにかたくなになっちゃってんだろ。Bad Ass Templeの "開眼" という曲で、天国獄は「おまえの叫びは俺のもので弁護はできても代弁はできない  同じく俺の怒りや俺の痛みは俺だけのもんだ  誰も触るな」と歌う。私はこの詞がすごく好きだけど、獄と私の決定的な違いは、他者に対して愛があるかどうかだと思う。愛、愛を持てる人間に戻りたい……。

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友人たちがDolby Cinemaで観るムビナナに心を奪われている様子を見ていて、どうしても観たかったので仕事を早退することにしてねじ込んだ。今までだって観るごとに毎回新しく見えるものがあったけれど、それにしても映像と音響の質が段違いで、それはもう凄まじかった。情報量の多さは耳にしていたけれど、それにしても一体私はこれまで何を観ていたんだろう?と思うほどに、今まで見えなかった、聞こえなかったものがそこにあって、いっぱいいっぱいで、ずっと半泣きだった。

ササゲロの虎於の「俺は重いぜ」の低音で椅子がびりびりと共鳴して震えるのも、陸と天の "Imcomplete Ruler" が終わって天が去り、"TOMORROW EViDENCE" のイントロとともにIDOLiSH7のメンバーたちがステージに姿を現した瞬間、それまでせつなげな表情をしていた陸が「わぁ……」と小さく嬉しそうな歓声をこぼすことも、TRIGGERの3人の衣装のファーのふわふわとした質感やビジューが光をはねかえしてきらめく様子も、髪の毛の細さややわらかさも、イヤモニの模様も、声の重なりも、Re:valeの王者の椅子の細工も、すべてが鮮明だった。

特にストストのスモークの演出はたまらなかった。客席に背を向け、モニターの街並みに対峙する彼らには向かい風になる方向にスモークが焚かれている。モニターの映像に吹きすさぶ塵もやっぱり向かい風になっていて、でもそれがある時から、客席から吹く追い風の向きに変わる……という話は先に観ていた友人のツイートで知っていたものの、いざ目にしたらぐわあっと涙が込み上げてきて、嗚咽を漏らさないように必死だった。

もう何回も見ているのに、16人のファンサタイムでの好きな人のウィンクの瞬間、毎回新鮮に心臓が爆発しそうになってしまうから、身じろぎしないようにぎりぎりと腕に爪を立てている。彼の好きなところって、ここの動きが好きとか、ここの表情がたまらないとか、言語化といちばん相性の悪い好きになり方だから、どんなに私が彼のことを好きかって、たぶん誰にも伝えられない。とにかくめちゃくちゃに好きだ。だけど、アイドルのきらめきってそもそもが言語化できない。言語化できるってある意味では代替可能ってことだけど、アイドルって誰にも何にも代われない私だけの太陽だから。"Pieces of The World" の「此処にあった光は希望  春夏秋冬翳らぬ太陽」という大好きな歌詞をずっと反芻しながら、トウマくんが私の翳らぬ太陽だって思っていた。ずっと眩しいよ。アイドルやっててくれてありがとう。真剣に歌いたくないと思った時期があったとしても、歌うのをやめずにいてくれてありがとう。アイドルを諦めないで、ŹOOĻを諦めないでくれてありがとう。

このところ言葉があとからあとから出てくるのって明らかにムビナナの影響だと思う。脳みそのどっかに詰まっていたごみが奔流にさらわれて栓が外れたみたい。ずっと頭の中がうるさくて、仕事が立て込んでいないのを良いことにずっと何かしら言葉をこぼしている気がしてあんまり健康じゃないけど、でも凪いで何も感じないときよりずっと嬉しい。日記に書くことがないと感じるのってほんとうに怖いことだから。

ところで、生理2日目で、鎮痛剤を飲み忘れて道中からしくしくと腹が痛かったのだが、上映中はほんとうに一切そのことを忘れていた。ムビナナは生理痛に効く。

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連れの上がりが早かったので、最寄りで落ち合って近所の蕎麦屋で日本酒をちびちびやりながら飲んだ。外食続きだけど、まあこういうのも楽しい。帰宅してからしばらくしたら雷がすごくなって、部屋を暗くして連れとふたりでしばらく稲妻を鑑賞していた。