2023/7/11

美しい詩の断片に出会った。友人がリツイートしていたもの。

星は落ちた その星を知るすべての人々の胸の深みに ふたたび消えることなくそこにかがやきはじめた 一層うつくしい光を帯びて 高橋元吉

凋落と再生を果たして輝きを増したTRIGGERのことでもあるし、夜空の星ではなく地上の星だと友人に形容せしめたŹOOĻのことでもあると思った。今本を読む余裕が全然なくて、新しい言葉に触れることに消極的な自分にずっと落ち込んでいるけれど、詩なら読めたりするのかな。すくなくとも、この言葉を目にして、きれいな言葉に身を浸したいと思った。

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仕事終わりにチケットをとって、今日もDay1を観た。今日はふだんあまりとらない前方席。結論からいうと、あんまり好きな席ではなかった。角度が違うと全然知らない絵に見えるから、これまでに観た記憶を同時再生しながら「今はここのシーンだな」と答え合わせをし続けながら見ることになる。いくら好きな人の立ち位置を把握しているとはいえ、スクリーンとの距離が近い分、カメラが切り替わった時の視線移動が大きくて、姿を目で追うことに頭を持っていかれちゃって、歌詞を全然味わえなかって惜しかった。音の響き方もちょっと物足りない感じ。座席によって音が違う、と連れや友人が語るのが、少しずつわかってきた気がして嬉しい。

それでも、トウマくんは今日もまぶしかった。歌もラップもダンスもうまくて、ウィンクが上手で、まっすぐで熱くて愛に満ちていて、それでいてどこか完全無欠ではない人間味も併せ持つなんて、そんな魅力的な人がいていいのか。心も頭も体もどろどろに溶かされている。幸せだなあ。楽しい。

ウィンクをするトウマくんが好きだ。Day2の16人ファンサのウィンクで抗いようがないほどに心をつかまれ、アンコールのWFWでのウィンクでとどめの一撃を食らって今に至るまで、彼が片目をきれいにつぶってみせるたびに心臓が早まるのはずっと変わらない。単純に魅力的でかっこいいというのももちろんあるけど、アイドルをやりたいって気持ちにまっすぐになれたトウマくんが自分の魅力の表現としてウィンクを選ぶこと、ほんとうに愛おしくて、それを考えるたびに気持ちがぐしゃぐしゃになるのだ。だって、ファンに喜んでもらえるって思うからウィンクをするんじゃんね。それってつまり、ファンが自分を見て幸せを受け取ってくれる存在だっていう、ファンに対する信頼があるってことだ。そのウィンクを形にするまでには、きっとたくさんの笑っちゃうような変な顔とかもあって、でも彼は鏡の中のウィンクがうまくできない、かっこよくない自分に向き合うことをやめなかった。だから今のかっこいいトウマくんがいるわけで、それがファンへの信頼に裏打ちされてることを思うと、なんだか泣きたくなってしまう。「俺はもう、二度と真剣に歌わない」って、ファンへの信頼を一度は失った人が、今その光の中に戻ってこれたこと、ほんとうに嬉しいよ。大好きだし、希望だ。

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チョコパイを食べ終わって箱をたたもうとしたら、箱の内側に切り抜いて遊ぶための展開図が載っていた。組み立てると動物の形の立体ができるらしい。大人がそういうのを会議室で真剣に考えてるって思うとなんか良い。子どもが育つ社会というのは、遊び心を許容する社会のことなんだろうな、とぼんやり考えた。そりゃ少子化になるわけだよね。

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このところの鬱々とした感じの一因は仕事でとある気の重いタスクを先延ばしにしていることだったのだが、出社したらわりと進んで、だいぶ気持ちが軽くなった。わかってはいたけど、やっぱり家にいるのがだめっぽい。後輩のサポートにかこつけて、当面は出社することにしようと思う。先延ばし癖と遅刻魔は同根だよねと連れに指摘されている。たぶん正解。

少し前だったら、多少タスク遂行能力が低くても、それをコミュニケーションスキルと飲み込みの速さでカバーできるし、それで重宝がられているという自負があった。でも、私自身の立ち位置も会社の置かれている状況も少しずつ変わってきて、今の私が組織に必要な人間かと言われるとけっこうなんとも言えないところに来ているなと思う。これが能力主義に蝕まれた思考回路であることは一旦脇に置くとして、自分が存在しなくてもいい人間になってゆくことが怖いし不安なのは仕方がないから、打てる手は打っていかないと日々を過ごすのがしんどくなってしまう。

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ODD EYE CIRCLEの新曲を聴いた。"Girl Front"と同じ空気感の音で嬉しくなった。LOONAの曲は好きだった女の子に恋をしていた頃によく聴いていたので、聴き返すとその頃の記憶が舞い戻ってきて喉の奥が苦くなる。ほんとうに楽しい片思いだった。