2023/7/29

連れが早朝出ていった記憶がぼんやりとあって、そのあと10時すぎまで寝ていた。ひさしぶりによく眠れた実感がある。いくら冷房をつけているとはいえ、シングルベッドにふたりで寝るのは、夏場には無理があることはとっくにわかり切っている。

家事をすませ、友人と神保町で落ち合ってカレーを食べた。駅からすこし歩く店。ソウルで日傘を壊して修理に出しているので、陽射しが肌をじりじりと焼く感覚が鮮やかだった。こういう日の陽光は「日差し」ではなく「陽射し」がふさわしいだろう。夏は好きな季節だ。熱せられた空気が体温を超え、自分の表面と世界の区切りがはっきりする感じがする。ただ、それにしても生き物が活動する気温ではない。あちこちの古本屋の軒先に並べられた本たちは暑くないのだろうか。

食事のあとは友人と古本市に行った。初めて見るような江戸や明治の頃の茶色くなった古書から、馴染みのある作家、雑誌やCDやDVDや古いエロ本、アダルトビデオまで、それはもうありとあらゆるものがあった(さすがにゾーニングしろよと思った)。いくつか興味を惹かれるものはあったけれど、連れが持ってきた蔵書がすでに溢れかえっている状況で、これ以上増やすわけにもいくまいと理性を働かせて何も買わずに出てきた。というのは表向きの理由で、どうしてもほしいと思うほどに欲求を想起されるものがなかった。気になる著者名や作家名が目に止まっても、まだ自分には早いような気がしてしまったのだ。出会いがないこと、そしておそらくそれが自分の許容量の問題であることを思うすこし悲しいし、いつまで経ったところで自分がそれらにふさわしいと思えるようになることはないのだろうけれど、運命的な出会いといえるほどのものがなかったのだから、それはひとつの正解だろう。友人が購入していた『シェイクスピアの政治学』はおもしろそうだった。

近くのカフェでお茶をして、文体診断をしたり友人が今熱を上げている作品について教えてもらったりして、夕方に別れた。カフェでベートーヴェンの交響曲第5番が流れていて、このところアイナナ曲とセブンティーンの曲ばかり往復していた身には美しい旋律が妙に新鮮に沁みて、帰路でずっと聴いていた。

神保町に行くといつも落ち込む。自分がこの街にあふれる本の、ほんの一握りすらも読めずに死ぬことを考えてしまうから。

夕飯は中華風の揚げ茄子と、豚肉とレタスの梅バター和えを作って、テーブルの上の書類を整理していた。カード会社から届いた海外旅行の案内がおもしろくて、ふたりで熟読した。いずれ連れとも遠出をしたいが、それには今の観劇ペースを見直さねばなるまい。WWFの会報とか、出身大学の学報とかも埋もれていたので、引っ張り出して読んでいた。いくつかのNGOやNPOに寄付をしている。それらの団体から届く活動報告や会報を読むたび、人間が引き起こした災禍の醜悪さに悲しくなるとともに、それを是正しようと働く人間の善性への希望も感じて、相反するものの間で泣き出したくなってしまう。私は金銭的な支援しかできないし、それだっていくらでもないけれど、でも続けていこうと思う。

夜中、先に眠ってしまった連れの横で、ぼんやりとインターネットの文字に視線を這わせていた。おもしろいものは何もないのにやめられない。たぶんこれは本を読みたいのかもしれない、と思っているうちに寝落ちていた。