20230721-22 SEVENTEEN TOUR 'FOLLOW' TO SEOUL

Day1

8時半過ぎに起き、シャワーを浴びて家を出る。同居早々に家を空けるので連れはちょっぴりさみしげ。先月出張で中国に行っているとはいえ、あの時は現地の同僚が何から何までエスコートしてくれて、不安に思うようなことは何もなかった。いくら行き慣れた隣国とはいえ、自分で何もかもどうにかしないといけない、という状況はひさしぶりで、前の晩荷造りをしているときから家を出るまでずっと何かを忘れているような不安に苛まれていた。

行きの機内では、沢木耕太郎『旅の窓』を読んでいた。見開きの左側に彼があちこちの旅先で撮ってきた写真があり、右側にはその写真にまつわる短いエッセイが添えられている。文章はこれまで読んできたものよりもいささか砕けた軽い読み口で、いつもほど心を掻き立てられたわけではなかったが、写真はどれも美しかった。あんな文章を書けるくせに、撮る写真までうまいだなんてことがあってたまるかよ、と理不尽な悔しさをおぼえる。彼のつくるものと対峙するときに覚えるのは、いつだって敗北感だ。

彼の旅先で出会う風景や人間へのまなざしは、異邦人らしい好奇に満ちている。その視線や解釈はときに暴力的で、身勝手なものだ。聡明さを感じさせる文体に純粋に憧れていたかつてとは違って、今はそこに潜む有害さをも嗅ぎつけられるようになった。だが、世界を能動的に受け止めにいく姿勢、とでもいうべきものにはやはり感化されるものがある。果たして自分は、こんなふうに目の前の世界を見つめることができているだろうか。窓の外に目を向けようと、久しく思ったことがないことに気が付いて悲しくなった。もちろん、遠出の機会がなく、目にする景色も関わる人間の顔ぶれも変わらない日常では、漫然と過ごすばかりになってしまうのも仕方がなかったかもしれない。今では手のひらの端末の中が現実の世界で、物理的に目の前に存在する世界は意味を失いつつある。それ自体の良し悪しは決められないけれど、そうしている間に、私はどれだけ美しいものを見落としてきたのだろう。

あっさりと入国審査を終え、空港のコンビニでおにぎりと飲料を買って、コンサート会場へ直行した。視界にあふれるのは、読めるとはいえ見慣れない文字で、その状況に心が踊る。これに飢えていたのだ。

会場の一駅手前で電車が止まるというトラブルに見舞われながらも無事に会場に到着し、本人確認をすませた。会場の周辺一帯の浮かれた空気が懐かしくて嬉しかった。何時間も前から会場の近くに集って、インターネットで知り合った友人たちと挨拶をしたり、グッズの交換を探し回ったりして、そういうのもふくめてコンサートだった。今でこそそういうことを熱心にやっていた頃の知り合いとはほとんど関わりがないし、前みたいにグッズを買い込むこともなくなってしまったけれど、その時の空気をまた味わえたようで、その場にひとりでいるだけでも浮足立つような気持ちだった。入場口に大きく貼られているポスターを背景にお互いの写真を撮り合っているふたり連れがいて、英語で喋っていたので、ふたりで撮ってあげようか?と声をかけたら喜んでくれた。アメリカ出身で今はソウルに住んでいるらしい。私はついさっき日本から来たんだと言ったら労ってくれた。あなたも撮ってあげるよと言われたのを断ってしまったけど、今になってちょっぴり後悔している。

会場に入ってからは、好きだった女の子とも顔を合わせた。それぞれでチケットを手配しているのに、席がかなり近くて嬉しい驚き。一緒に帰ろうね、と約束した。

コンサートは、すっごくすっごくすっごく最高だった。セブンティーンのコンサートが最高じゃなかったことなんてないんだけど、それでも、これまでに行った中でも指折りに好きなステージだった。あまりにも、私のためのコンサートだった。

開場中も、広告や案内の合間に断続的にミュージックビデオが流れていたのだが、開演時間になり、客席の照明が落ちてまず流れたのがhealingの映像だった時点で、ああ、私は今日この日のために生きてきたんだ、と思った。この映像の冒頭には "You're my healing" というテロップが入る。そう、彼らはいつだって私の心をほどく存在であり続けてきたんだよな、と思い至ったら、始まってもないのにもう目の奥が熱かった。続けて流れたのが最新曲のSuperの映像だった。まだあどけなさを表情に残すhealingから、7年間の歳月のなした成長を眼前に突きつけられてひたすら圧倒された。それでも、直前にhealingがあったから、彼らが遠く手の届かないところに行ってしまう怖さやさみしさは感じなかった。

VCRを挟んで、青いレーザーの光が会場を縦横に切り裂いた瞬間、全身が総毛立った。世界で一番かっこいい人たちだ、と姿も見えないうちから確信して、舞台の上に彼らが現れ、ウジくんだけが宙に昇ったところでその確信は現実になった。ほんとうに、この人たちって、かっこいいんだ。

そうしてはじまった本編のセットリストには、私が一番熱量を持って追いかけていた、文字通り生活の中心に彼らがいた2017年から18年頃の楽曲がふんだんに採用されていた。"Don't Wanna Cry" のイントロが聞こえた瞬間、自分の耳を疑った。好きになって初めての彼らのカムバックがこの曲だっただけに、思い入れは半端なものではない。"THANKS" も、"HIGHLIGHT"も、"Pinwheel" も、"Beautiful" まであった。こんな幸せをもらっていいんだろうかと思いながら終始泣きっぱなしだった。終演後に合流した好きだった女の子には、「きっときみは泣いているんだろうなと思ってた」と言われた。

ジョンハンさんは、最後のコメントで "다 같이 행복합시다(みんな幸せになりましょう)" と言っていた。IDOLiSH7の "TOMORROW EViDENCE" という曲に「幸せになろう!みんな!」という詞があって、この「みんな」ってあらゆる区別を廃した、文字通りの、誰もとりこぼさないみんなのことだと思う、と友人たちと話したことがある。ジョンハンもまた、そういうインクルーシブな言葉として「みんな」を使っていると思う。そう思わせてくれたことが嬉しくて、そこでも泣いていた。

アンコールのジュンくんは、とにかくずっと舞台を文字通り縦横無尽に走り回っていたし、走っていないときはぴょんぴょんと跳ね続けていた。元気がありあまっている様が愛おしくてたまらなかった。

好きだった女の子と落ち合って、混雑を避けるために駅まで遠回りして帰って、ほんとうに最高だったねって幸せを一緒にかみしめた。あの曲も、あのシーンも。コンサートも旅行も、どちらかといえば一人で行くのが好きだけど、この幸せな夜に、大好きな人とこうして語れる言葉がたくさんあることが嬉しかった。

好きだった女の子と別れ、コンビニで夕食を買ってホテルへ。思っていたよりもかなりちゃんとした良いホテルだった。きれいだったし、ベッドの寝心地は良かったが、どうせ眠るだけの場所にクオリティを求めるよりは、もうすこし費用を抑えられただろうと思うとちょっと悔しい。数年ぶりの旅行で勘がにぶっている。

ほんとうなら昔やっていたみたいに1曲ずつ感想をしたためていきたいところだけど、それにはもう体力も時間もない。とにかく、私の好きなアイドルは、世界一で宇宙一だった。これまでもそうだったし、これからもそうだ。太陽であり、月であり、星であり、風であり、土であり、希望であり優しさである人たち。一生ついていきたい、と思う。

 

Day2

9時前に起き、身支度をしてチェックアウト。快晴で暑い。ホテルの近くに評判のいいカルグクス屋があることはあらかじめ調べてあった。韓国の夏の風物詩のひとつと言われるコングクスをどうしても食べたくて、好きだった女の子との昼食の約束まではすこし間があったので、いきおいで入店。濃厚な豆乳に麺が入ったシンプルなメニューだが、美味しかった。付け合わせのキムチを一緒に食べると、キムチの辛味がまろやかになるのが楽しかった。店内は冷房がかなり効いていて、冷たい麺をすすっているうちにすっかり体が冷えてしまったのだが、きっと炎天下の中歩きまわって火照っているときに食べたらもっと美味しかったことだろう。

その後は好きだった女の子と落ち合って、ソウル駅構内のカフェでお茶をした。いつも何をそんなに話しているのだろうと思うが、話が尽きたことはない。2時間ほどをそうやって過ごし、一足先に帰国する彼女を見送って別れた。

その後はノープランだった。ひとまず本人確認だけでも先に終わらせようと会場に向かい、ファンクラブ限定のトレカも受け取る。幸い、あっという間に交換が決まってジュンくんが手元に来た。この時点で開演までは余裕があったので、一旦会場を離れて街中をぶらつこうかとも考えたが、浮ついた空気に流されてグッズを買ったりトレーディングカードの交換を探したりしているうちに時間が経ってしまう。朝は快晴だったのに、雲行きはだんだんと怪しくなり、開場時間のころには雨が降り始めた。

昨日は予想だにしなかったセットリストにひたすら感極まっていたが、今日はとにかくずっと楽しかった。最後の一瞬の一瞬まで。だからあんまり涙は出なかったけど、最後のコメントでジュンくんが「みなさんが僕の太陽です」と話していたのだけは、思わず泣いてしまった。だってそんなの、私がジュンくんに言いたい言葉だ。

アンコールの定番になりつつある無限アジュナイスは、今日も幾度やったかわからない。終わるたびに会場から「もう1回!もう1回!」のコールが上がるので、最後には疲れきったメンバーのほうがファンに帰宅を促す流れになっていた。でも、ステージの扉が閉じて彼らが姿を消し、そのあとにふたたび出てきてくれた時、このコールは今この瞬間を引き伸ばしたいという望みでもあると同時に、彼らがいつだってこうやってステージの上に帰ってきてくれるという信頼の結晶でもあるのだと思った。今日という日が終わっても、こうしてまた会える。コンサートの終わりはさみしいけど、悲しくはない。

終演後は、1時間近くかけて空港の近くの宿まで戻った。雨は本降り。前日同様コンビニ飯を覚悟していたが、幸いにも24時間営業のコムタン屋が近くにあったので、そこに入った。店内には地元客が何組か。店主は日本語の書かれたメニューを持ってきてくれたが、私が韓国語で注文をすると、「韓国語お上手ですね」と驚いてくれて、ちょっと嬉しかった。味はふつうだったけど、雨で冷えた体に沁みて嬉しかった。ビールもついでに頼んだ。旅先で飲む酒も好き。

店をあとにした時には日付が変わっていた。雨も風も強くて、買ったばかりの折りたたみ傘の骨が折れてしまったのが悲しい。