2023/8/1

昼食、昨日の残りのキーマカレーのルウをトーストにのっけて、チーズかけて焼いたやつ。最高に贅沢。同じく残り物のモロヘイヤのスープ煮、それと取引先からのいただきもののフェアトレードコーヒー。

進捗が芳しくなかった活動の、社内上層部への進捗報告があった。大きなつっこみもなく、有意義なアドバイスももらえて、良い会議だったと思う。先月の報告の時に上司たちの言外に漂っていた、大丈夫かなコイツら、という懸念の空気は、今日はちゃんと進んでるじゃん、という安心感に変わっていたように感じた。あるいは、私よりも職位が上の同僚の働きぶりを見ていて、これなら自分も昇進していいな、と思ったりすることがある。そうして「有能な」自分に誇らしさをおぼえるとき、自分がいかに権力になびきやすい人間であるかを自覚してぞっとする。それらは、自分の肯定の形をとった、他者への蔑みだ。

私が仕事をしている自分を好ましく思うのは、組織が自分を必要としている、そこには自分の居場所があると思えるからだ。人間は他者とのかかわりの中でしか生きていけない。それは誰かにとって何らかの形で必要とされることとほぼ同義だと思っていて、その居場所が勤務先であること自体を否定するべきではない。ただ、私が今ここで肯定されるのには、能力主義という、他者を相対的に否定する仕組みが土壌にあることを考えると落ち込む。私の労働が正当な対価を受けることは必要だけど、その対価を決定する力を持つのはいつだって「上の人」である、というのももどかしい。

組織を内側から変えるには、まず私の発言が耳を傾ける価値のあるものだと「えらい人」に認めさせることからはじまる。だから、土俵にあがらないことには仕方がないと思ってきたし、それはまあ、成功していると言っていい。だけど、そうしているうちに、自分もまたその組織の価値観を内面化していって、革命の意志はすっかり骨を抜かれている。私はここで、どうしたいんだったか。それを毎日考え直す。今の発言は、今の行動は、私のめざす社会にそぐうものだったか。それさえ考えなくなったら、終わりだ。

夕食は2日目のカレー。ちゃんと半熟の目玉焼きを作って上にのっけた。ルウは味がまろやかになっていて、なかなかのご馳走だった。