2023/8/5

11時くらい?に起きて、掃除。私が掃除機をかけている間に、連れは洗い物をして昼食を作ってくれた。ゴーヤと豚肉のキムチ炒めをリメイクした焼きうどん。おいしかった。一緒に住んでる感じがする、感じっていうか事実だけど。メインの掃除機が壊れているので、連れの家から持ってきたコードレスクリーナーで代用しているけど、家を掃除し終わる前に充電が切れるのが困る。ヒプノシスマイクの新曲にBase Ball Bearの小出さんが楽曲提供したという話を知ったので、久しぶりにベボベを聴いていた。

連れの出勤とほぼ同じくして、私もボランティアに。終わる頃にはすこし日が傾いている。暑いことに変わりはないが、歩けないほどではないので、30分ほどの道のりを散歩して帰った。それから買い出し、またいろいろ野菜を買ってしまう。冷蔵庫が届いたとき、その広さに「食費が増えそう」と笑っていたのは早々に現実になりそう。

図書館に行こうかなとも思ったものの、家に留まってたまっている文章を書きたい気持ちもあった。今の自分に必要なのがどちらなのかわからずにぐずぐずしているうちに日が暮れてしまった。けっきょく、久しぶりにひいきのカフェに行きたい気持ちに軍配が上がって、本を持って出かけた。1時間半ほど滞在して、村上靖彦『客観性の落とし穴』を読了。全体としてはふだんから自分が考えていることに学術的な肉付けがされただけで、特に目新しさを感じるものではなかったけれど、だからこそ、自分の感覚と重なるものがこうして書籍として多くの人の目に触れうる形になっていることは嬉しいと思った。

インターネットの登場によって、世界は小さく、手の届く範囲は広くなったように思える。物理的距離は無効化され、情報はものすごい速度で伝播していく。その結果として社会が差別と悪意と反知性主義にいきおいよく蝕まれてゆく様子を見ていると、自分はそこにカウンターしきれていない後ろめたさで潰されそうになる。だが、世界が小さくなった、自分の影響範囲が広くなったというのは、錯覚にすぎないのではないか、ということをこの頃よく考える。自分で思っているよりもずっと、社会を変えることは難しいし、自分でできることは大してない。こういうふうに考えることすらも、諦めに思えて避けてきたけれど、これは諦念ではなく現実の捉え直しだ。インターネットの知人は「目の前にいる人と誠実に関わればそれでじゅうぶん」と言っていた。私もそうだなと思う。目の前の人間を統計処理しないこと。数値化されない経験を、語りを重視すること。それがこの本の中でも、数値化される社会への抵抗の手段として説明されていた。けっきょく、人が人と安心して関われる場所を作ることに貢献できることが、私にできる革命だと思うし、それは会社でもできることだ。

帰宅して、シャワーをあびて、料理を作った。レタスの昆布水マリネ、ズッキーニのナムル、豚肉とピーマンと茄子とゴーヤの甘味噌いため。