2023/9/26

昨夜深夜にやけっぱちになりながら作った資料は、朝見たら先輩からの修正が入っていた。あらかた作ってくれていたから微修正で済んだよ、とフォローされたものの、直してもらったところを見ると、どうしてこれが自分で気づけなかったのだろう、と思うようなものばかりで悔しくてたまらない。専門外の領域とはいえ、丸6年、この会社でやってきて、それなりに動ける人間になったという自負があったのに、その鼻っ柱を折られている気分だ。でも、奢りに気づけたという意味では、けっこう良いタイミングだったのかもしれないとも思う。

そんなこんなで作った資料だったけど、会議でもあまりうまく使えなかった。オンライン開催で参加者の反応が見えなかったから余計にそう思うのだろうけど、喋りながら、こんな表面的な説明ならしないほうが良いんじゃないかという思いがぬぐえず、結果としてだいぶ端折った説明にしてしまった。自分で作ったものの価値を信じてやれないんじゃ、この仕事は成り立たない。会議の進行とわかりやすい説明は私がもっとも得意とするものなのに、それすらできないんじゃ、この先この仕事をやっていけるんだろうか。専門外であるという言い訳に逃げたくない。若手ならこうやってしなびていても丁寧にフォローしてもらえるけど、7年目なんて中堅どころでそれを先輩に求めることも気が引ける。雑談を装って、へらへらと冗談めかして言うくらいが関の山だ。

自分が上司や先輩にあたる立場になってみて初めて、自分よりも上の、仕事ができて「ちゃんと」しているように見える人たちにも、苦しみや悲しみや悩みが当然にあることに思い至りつつある。母が自分と同じように悲しんだり傷ついたり憤ったりする人間なんだと気づいたのは、はたちをすぎた頃だった。今ふとそのことを思い出した。入社したばかりの頃、飲みニケーションに頼ろうとするやつなんか馬鹿じゃねえかと思っていた。会社の飲み会なんて行きたくなかったし、酒の力を借りなくちゃ維持できない関係性しか築けないなんて愚かだと軽蔑していた。だけどすこしずつわかるようになってきた。大事なのはアルコールの力ではない、羽目を外すことでもない。オフィスの外、アンオフィシャルな場であることに意味があるのだ。仕事にかぎらず、何かに真剣に取り組めば、そこにはプライドがついてくる。プライドはまっすぐ立つための杖みたいなものだ。でも、そのうちその杖が邪魔をしてしゃがみこめなくなる。立場や年次が上になれば、まっすぐでいることを求められ続けるからなおさらだ。その杖を脇に置いて、ぐにゃりとした姿を晒しても良い場所、弱さを咎められない一種のセーフスペースとして、ああいう場は存在する。私はよくライブハウスで飲む酒を赦しと呼ぶけれど、飲み会における酒もそういうトリガー的な小道具なんだというのが、最近わかるようになってきた。もちろん、たとえ非公式の場であっても権力勾配はそのまま持ち込まれるし、権力を持つ側が持たない側にケアをさせることは当然望ましくないけど、持つ側がケアを必要としないわけではないのだよなあ、ということを考える。私にはまだそれでも頼れる先輩や上司があちこちにいるけれど、この先経験を積んで立場が変わっていくにつれ、心を預けられる相手がすこしずつ減っていくのだと思うと、今から不安だ。

悔しさと無力感、不甲斐なさ、不安。ひりひりする。この半年ほどクライアントに対峙する前線からは退いていたから忘れていたけど、そういえばこの仕事って、こういうひりひりに心臓を削られ続ける仕事なんだった。やっていけんのかな、ずっと、このまま。もっと自分の心にゆとりの持てる仕事を探したいような気もする。だけど、どう生きていきたいかをすっかり見失っている今の私には、仕事がよりどころになりつつあることも確かだ。子どもを欲しがる人間のこと、馬鹿にできねえなあ。

11時の会議は延長して昼休みに食い込み、それ以降も18時までぶっ続けで会議が続いて、一日を終えた頃にはへろへろになっていた。いつもならなんだかんだでPCの前から離れられずにいるのだが、さすがに耐え切れずに早々にアプリケーションをぜんぶ落としてシャットダウンした。もともと寝不足だったこともあって、19時すぎまで昼寝してしまった。起きたら突然気分の落ち込みが来て、インターネットに希死念慮を放流しながら、それでも筋トレをして、買い物に行って、シャワーを浴びて、夕食を作った。死にたいくせに生きるための営みをやっているの、ちぐはぐで健気でかわいいなと思う。心配した友人が連絡をくれた。

連れも気分が沈んでいるというので、景気のいい献立にしようと思ってハンバーグにした。あとは鶏肉とオクラのカレースープと、じゃがいもとピーマンの細切り炒め。時間をかけた甲斐もあって、けっこう元気は出たけど、食べ過ぎでそのあと腹痛にみまわれたのが惜しかった。