2023/11/15

出張終わり。東京まで何も食べないとさすがにお腹が減るなあと思って、新大阪の駅でたこ焼きを買った。そこまで空腹じゃないことには、食べはじめてから気がついた。おいしかったけど、ちょっともったいないことをしてしまった。道中はアニメを見ながら帰るつもりだったが、頭の中がうるさくて音楽を聴くことしかできずにいるうちに名古屋についてしまい、けっきょく2話くらいしか見られなかった。最近はハイキュー!!とFree!をまた見ている。会社に入って以降もっともつらかった時期を支えてくれた物語たちだ。

帰宅して、荷物を置いて、連れと近所の飲み屋に行く。たかだか2日顔を合わせていない程度なのに、新幹線に乗ってからずっと、連れに会えることが楽しみだった。会ったところでとりたてて会話がはずむわけではないのだけど、沈黙の合間にぽつぽつと言葉が戻ってくる時間が好き。隣の二人連れがセブンティーンのファンで、買ってきたばかりらしいランダムグッズを開封しては、推しが出ただの出ないだのできゃあきゃあ騒いでいて楽しそうだった。

テレビをつけたら、NHKスペシャルの難民の特集番組がやっていたので観た。これまで人道主義にもとづいて難民保護をしてきた欧米先進国の多くで、極右ポピュリズムが台頭し、排外的な動きが強まって、人道主義は岐路に立たされている、という希望の見えない話だった。難民保護は相対的に裕福な先進国の負担のうえに成り立つことは事実だし、難民を生み出してしまうひずみを作ったのが先進国自身なのだから、それが当然だと私も思う。でも、その裕福さはあくまで相対的なものにすぎない。もう資本主義では先進国もふくめてまかないきれなくなっているのだ。そのなかでより弱い者がわりを食う。なんと理不尽な世界だろう。暗澹とした気持ちになりながら、毛布をかぶってソファで見ていた。番組が終わってからもしばらく、共産主義の可能性と限界について連れとぼそぼそと喋ったりしていたけど、ほら寝るよ、と毛布を連れに引きはがされたのが引き金になって、今まさに戦火の中で、愛しい人とのじゃれ合いとしてではなく、理不尽に、暴力によって毛布を奪われる人たちもいることに思考が結びついて、うしろめたさと情けなさで突然わんわんと泣いてしまった。先日のデモで聞いたパレスチナの詩人の詩が頭から離れない。デモに行ったところで、何になるのだろう。遠く苦しい人に思いを馳せたところで、私はこの安全な場所で、何ができるというのだろう。自分は無力だと思いたくないし、無力ではないと思う。だからデモに行くし署名もするし投票もする。でも、非力であることもたしかだ。誰かを救えるほどの力はない。What do we want? Ceasefire! When do we want it? Now! パレスチナ出身の人がデモで叫んでいた、血のにじむような声を思い出す。私も一緒になって叫んだけど、でも、それだけでいいのだろうか。ほかにもっと、何かないのだろうか。