烙印

あと十分ほどで日付が変わる。今私がやるべきなのは、文章を書くことでも、酒を飲むことでもなく、灯りを消して布団に行くことだ。そうわかっていながら文章を書いて酒を飲んでいる、そういう夜をあえてやりたくなってしまう。秋のはじまり、心臓を目の粗いおろし金でざりざりと削られていくような鋭い痛みに襲われ続けるのであまり得意ではない。仕事ですこし落ち込むことがあったけど、酒を買いに行くついでに夜の空気を思いきり肺に満たしたらちょっとどうでも良くなってきた。秋のもたらす刺激のほうが勝ったっぽい。

隣のチームの担当領域で、私の専門からはやや外れるところについて会議で説明しないといけなくて、細かいところをつっこまれてしどろもどろになった。会議が終わってから、クライアントのひとりから電話がかかってきて、今日ぼろぼろだったじゃん!とひとしきり文句を言われた。他のチームの内容を説明できるだけでも褒めてほしいくらいなのだが、こっちの専門性に金を払っている相手からすれば、そんなものが言い訳として通用しないのもわかるから、ただ謝る。申し訳ありませんなんて、お世話になりますとかよろしくお願いいたしますと大して変わらないから、いくら言ったってかまわない。そんなことで私の尊厳は削られたりしない。もうすこしうまく立ち回ることはできたかもしれないけれど、それを今さら言っても仕方がないし、本質的な問題は別のところにあるから、かりに私が今日言葉につっかえたりせず流暢に問いかけに答えていたところで、不満が噴出する結果に変わりはなかったろう。今日の私が契機になったにすぎない。はじめからサンドバッグになるのを承知で引き受けているところもあって、予想の範疇だった。相手だって何も私をいじめたいわけではなくて、言い方は多少粗いにせよ、まるっきり理不尽でもない。文句をいうのも、当事者としての責任感があって妥協すまいとするからこそで、それを率直にこちらに伝えてくる時点でフェアだろうと思う。陰でアイツつかえねーなって言われるより、ずっと気持ちが楽だ。

ここまで理屈で導き出すことはできているのに、それでも胸のほうで燻るものがあるのは一体なんだろうか。通話を終えてからしばらく嫌な感じに心臓がはやっていた。深く掘り下げるまでもなく、期待外れの烙印を押されることに心底怯えているんだということにはすぐに思い至る。勝ち負けとか、優劣とか、そういう価値基準は一度インストールされてしまったら最後、そう簡単に打ち壊せるものではない。頭で理解することと、それを自分の価値観に適用できるようになることは別物らしい。私の味方でいてくれている同期の同僚と、どんな評価をくだされようと、先に進むことだけめざそうね、と言い合ってすこしだけ気持ちが楽になった。

頭のてっぺんまで感傷にずぶずぶに浸りきって塗り替えてしまおうと、ベランダにスピーカーを持ち出して、夜風を浴びながらふだんはすわない煙草を吸う。こういうときにかぎって連れは遠いところにいる。文字だけのやりとりではつまらないけど、泣き言を聞かせずにすむから良かったのかもしれない。